先日、なんとなくテレビをつけていたら藤原紀香氏と片岡愛之助氏の結婚会見をやっていた。なんとなく聞き流していたら紀香氏が「これから一番大事なのは、彼の健康管理」みたいなことを言っていて、思わず椅子からずり落ちそうになった。
――え? 女優であるあなたにとって、何よりも大切なのは自分の仕事じゃないの? それってファンとか仕事の関係者にもちょっと失礼じゃないの?
そう思いつつ、「ああ、なんかこれ、絶対回り回って女子に実害来そう……」という予感に包まれた。
同じ時期、世間は乙武洋匡氏の「不倫騒動」で揺れていて、「夫の不貞を謝った妻」に大きな批判が集まっていた。主に女子からだ。
「なんで妻が謝らなくちゃいけないの?」
「時代に逆行してる!」
「そういう解決方法をよしとするから、女子が生きづらいままなんじゃん!」
そんな悲鳴のような言葉が私のまわりでも多く聞かれたが、「できた妻だ」なんて言うオッサンもいるらしかった。
結婚したら夫の健康管理が人生の最優先課題になる女優。
夫の不倫を謝罪する妻。
私はこういうことに、うまく言語化できない違和感を覚えるけれど、世間にはそんなに違和感を持たない人が結構な数いることも知っている。だけど、もし結婚会見で愛之助氏が、「これからは妻の健康を第一に」なんて言ったらどうなるだろう? すぐに「藤原紀香 重病説」が出るに決まってる。週刊誌の見出しには「余命1年?」とか「難病?」なんて言葉が躍るだろう。
が、愛之助氏には今のところ重病説などは立っていない。なぜか。それは「妻が夫の健康管理に務めるなどして尽くすことは当然」という、私は決して合意も納得もしていないけれど、そんな決まりみたいなものがこの国には存在するからである。一度たりとも明文化などされていないのに、「そういうもんでしょ? それくらいわかるよね?」と、実態のない「世間」は圧力をかけてくる。
一方で、夫の不倫を謝罪する妻はいても、妻の不倫を謝罪する夫は見たことがない。
それだけじゃない。最近「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログが大きな注目を集めたが、「保育園に落ちて泣く泣く仕事を辞めた妻」は多くいても、それで仕事を辞めたという夫の存在を私は知らない。
なんだかおかしいと思う。でも、もうこういうことは社会の隅々にまで根づいていて、どこから何を言えばいいのかもわからない。
そんな時、久々に読み返した臨床心理士・信田(のぶた)さよ子氏の『母が重くてたまらない――墓守娘の嘆き』 (2008年、春秋社)に、非常にわかりやすく、この世が「オッサン天国」であるということを証明するような記述があり、違和感の正体が私の中でとても整理された。引用しよう。
信田氏は、「父」たちに以下のように語りかけている。
「あなたたちは、たぶん他者からねぎらわれることに慣れているだろう。飲み屋に行っても『おつかれさん』と言われるだろうし、バーやスナックに行けばママさんがいっぱいねぎらう言葉を掛けてくれるだろう。金を払えば女だって同じだろうと思われるかもしれないが、その点では男女は明らかに非対称的である。男性をねぎらうシステムは社会の再生産構造の中にちゃんと組み込まれている。あなたたちを癒すことが、日本経済の発展を支えることになると考えられているからこそ、膨大な歓楽街は存在し、家族の中ではちゃぶ台返しなどの好き放題が許されてきたのだ」
続いて信田氏は、子どもに「早く自立をしろ」「甘えるんじゃない」と説教する「父」たちの矛盾を鋭く指摘する。
「再生産構造の中でケアされ続けている父親の姿を見れば、一番甘えているのがあなたたちであると子どもたちは考えているかもしれない。お説教される子どもにしてみれば、これほど大きな言行不一致はないだろう」
そうなのだ。この社会は、男性をケアするシステムを全国津々浦々まで張りめぐらせている。全国にある歓楽街には、飲み屋だけでなく様々な種類の風俗店もある。風俗だけじゃなく、男同士の「親睦を深める」ためのおっぱいパブなんかもある。男性の欲望とニーズは研究され尽くされていて、様々な企業努力が日々行われ、様々なサービスが誕生している。
が、女子に対してはどうだろう。働く女性をねぎらうシステムは確立しているようには見えない。歓楽街はいつも「オッサンのもの」で、女性が一人で足を踏み入れることができる場所はほぼないと言っていい。それどころか、ごくたまーに付き合いでスナックなんかに行くと(そういう場所は苦手なのだが)、そこのママに「(私と一緒に行った)男性陣を盛り立てるような会話への参加」を強要されたりする。
私もお金払ってんのに。なぜ、そんなことをされるのか。女だから。以上。
漫画家・田房永子さんの名著『男しか行けない場所に女が行ってきました』(2015年、イースト・プレス)には、そんな「男社会」への憤りが鮮やかに指摘されている。「男しか行けない場所」=風俗店やストリップ、パンチラ喫茶などを取材してきた著者は、そもそもこの世の中そのものが「男しか行けない場所」なのではないかと問うのだ。別に風俗店などに限った話ではない。いろんなことが、「男向け」に作られている。その中には、「女はこうすべき」「こうあるべき」なんて「常識」も含まれる。
以下、後書きからの引用だ。
「どうして、女は男と同じように働いていても、家事をするのが当然ということになっているのだろうか。仕事をしている女性が子どもを生むことを躊躇う(ためらう)のも、家事と育児と仕事を両立させられそうにないから仕事をやめるのも、この世界そのものが男による男のための『男しか行けない場所』だからなんじゃないか、そんな気持ちになる」
そう思うと、ベビーカーを押して電車に乗る女性が冷たい視線を浴びる理由もわかる。男向けに設計された場所には、最初から女や子どもの居場所などないのだ。
この設計は、恐ろしいことにこの国の各種制度でも適用されている。
例えばシングルマザーの貧困率が50%を超えるのは、この国の社会保障制度の設計に問題があるからだ。すでに時代遅れの「正社員の夫と専業主婦の妻、プラス子ども」みたいなものが標準世帯とされているので、標準世帯からもれる母子世帯は貧困となるリスクが一気に高まる。
当然、結婚していない単身女性の貧困リスクも高まる。単身女性の3人に1人が貧困(月の収入が約10万円以下)というのは有名な話だが、これが年をとるともっと大変なことになっている。65歳以上の単身女性の貧困率は52%で2人に1人だ。
女性は、子どもの時には「父」という男が、そして大人になってからは「配偶者」という男がいなければ貧しくなるリスクが高まるのだ。そしてそれをカバーする制度は今のところ、ない。
なんだか身近に感じる疑問をつらつらと書いていたら、いつの間にか壮大な話になってしまった。だけど、おかしなことにはおかしいと言わないと、人はどんどん卑屈になっていく。
「女は余計なこと言わずに黙って笑ってればいいんだよ」
この国の女子たちの多くは、ずーっと「オッサンの呪いの言葉」に縛られてきた。
そんな「男社会にとって都合のいい言葉」に縛られる必要など、1ミリもないのだ。
次回は5月12日(木)の予定です。
紀香結婚から男社会を考えた
(作家、活動家)
2016/04/21