中川俊直衆議院議員の「ハワイで重婚挙式」不倫スキャンダルが、注目を浴びている。中川議員は経済産業大臣政務官を辞任。また、所属政党であった自民党も離党した。
そんな中、がんで闘病中の妻が謝罪したことも話題となっている。
帽子にマスクという姿で現れた妻は、正座の姿勢で深々と頭を下げ、「本当にこのたびは、主人によって大変ご迷惑をおかけしたことを、主人ともども私もお詫びします」と述べ、「連帯責任と言ったらおかしいですけど、少なくとも私が主人の仕事の手伝いをさせていただいていることもありますので、私にできるのは本当にお詫びすることだけなので……」と、話したのだった(2017年4月21日、フジテレビ系「直撃LIVEグッディ!」)。
この謝罪で真っ先に思い出したのは、16年にやはり不倫報道が大きな話題となった元スポーツライターの乙武洋匡氏だ。彼の妻もこの時に謝罪。一部男性の間で「できた妻だ」なんて言われたが、女性の間では「なんで夫の不倫を妻が謝罪するの?」「時代を逆戻りさせるな」などと大不評。では今回の世間の反応はどうかというと、妻が闘病中ということから「さすがに気の毒すぎる」という声が広まっている。
夫の不倫を謝罪する妻。そしてそんな妻が、時に男性陣によって「妻の鑑(かがみ)だ」なんて「評価」される国。一方で、妻の不倫を謝罪する夫を私は見たことがないし、もしそんな男性が現れたとして、「夫の鑑だ」なんて「評価」されることはないことは容易に想像できる。逆に「妻に不倫されて謝るなんて、なんて情けない男だ」などとバカにされるのが関の山だろう。
かように、男女の間には、「同じことをしても真逆の反応に晒される」という深い深い溝が横たわっているのである。
さて、そんなことを書いたのは、「いい妻」について、いろいろと考えさせられる出来事があったからだ。いい妻。できた妻。その言葉から、あなたはどんなものを思い浮かべるだろうか。
家事能力が高い。料理上手。気が利く。優しい。子育てもしっかりこなす。なんだかものすごく優秀な「家政婦」って感じだが、現在はここに「それらすべてをこなした上に働いて稼いでいる」というのも付け加えられるだろう。こうしてキーワードを並べただけで疲労がどっと押し寄せてくるが、最近ある女性と話していて、数十年前の「いい妻」像にひっくり返りそうになった。
1970年代あたり、日本人男性によるアジアへの「買春ツアー」がさかんに行われていたことを知っている人は多いはずだ。営業成績のよいセールスマンなどが、韓国やタイやフィリピンなどに「表彰旅行」と称して訪れ、買春をしていたのである。これについては80年代に入る頃には「世界の醜聞」とされ、日本政府は対策をとるよう、フィリピン政府から迫られてもいる。
が、当時の男性の意識はどうだったのか。
女性雑誌「婦人公論」(中央公論新社)2017年4月11日号に掲載された、エッセイスト酒井順子さんの連載「『婦人公論』100年に見る 変わる女、変わらぬ女」には、当時の買春ツアーについて、貴重な「証言」が綴られている。紹介されるのは、「婦人公論」1981年1月号の「買春観光を止めるには」という座談会だ。その中で、大正生まれの評論家・塩田丸男氏は、目くじらを立てることはないというスタンスで肯定。戦争中に支配していた国の女性を「買う」ことはいかがなものか、という問いには「女房から離れれば離れるほど面白いし、階層的にも違う女を相手にするほうが楽しい」「まァ人間なんてのは、人の痛みというのは感じないもんでしょう」とさらりと言ってのけるのである。
また81年3月号には、買春観光に出かける男性たちの声も紹介されている。
「買春ツアー反対なんていうヤツがいると腹がたつなあ。オレたちは安月給で仕事をやってて、息抜きがしたいわけだし、あっちはあっちで生活のための金がほしいんだから、第三者がガタガタいうことないと思うけど」(28歳)、「いまや日本の女性に失われた優しさ、みたいなものが彼女たちにあって、こたえられん」(41歳)。
そんな買春ツアー全盛期の時代についてある人と話していたところ、当時、「いい妻」とされた女性の行動を知らされたのだ。それは、「夫が海外で買春すると知りながら、旅行カバンにそっとコンドームをしのばせる妻」だったという。開いた口が塞がらなかった。
今や麻薬に次ぐ世界第二の犯罪産業と言われる「人身取引」に手を染める夫を容認し、それに加担しなければならなかった当時の「いい妻」。その心中を思うと、なんだか全身を引き裂かれるような思いに包まれる。同時に、「ダメ男製造女」という言葉も思い出した。そう、この国で語られてきた「いい妻」「いい女」は、ダメ男を製造し、増長させていく女性像なのだ。だけど、そんなのはいい妻でもいい女でもなんでもない。男に都合がいいだけの妻/女だ。
酒井氏の連載で驚いたのはそれだけではない。
同連載では、「婦人公論」80年10月号に掲載された「女と男のほどよい関係」という対談が紹介されている。対談しているのは、ともに有名作家の吉行淳之介氏と宮尾登美子氏。そこでやはり大正生まれの吉行氏は、「女性というのは誰しも、男性から殴られるなどひどい目に遭わされると『とてもいい気持ち』になるものだ」と語っているのだという。
何をどうしてどうやったら、こんな勘違いができるのだろう。が、この発言を受けて対談相手の宮尾氏は、「それはあると思います。女はみんな」と答えているのだ。誰か、この二人をDV防止法に基づいて通報して! と叫びたくなってくるが、37年前のこの国は、こんな野蛮な言説がのさばる未開の地だったのである。それにしても、「婦人公論」というよりによって女性が読む雑誌で、女性への暴力が肯定された時代を思うと、本気で背筋が寒くなってくる。
さて、中川議員の不倫報道からアジア買春まで話は広がったが、アジアと言えば最近注目されたのが、タイに滞在していた「つなぎ融資の女王」山辺節子容疑者である。
出資法違反容疑で国際手配され、2017年4月19日に日本に強制送還、逮捕となった彼女だが、「少なくとも70人から7億円以上を集めていた」という容疑よりも、その「若づくり」ばかりが注目されているのはご存じの通りだ。
62歳なのに38歳と偽っている、31歳のタイ人男性に貢いでいる、露出の高い服を着ている、カチューシャをしている、豊胸手術をしているようだ、手足の手入れが行き届いているなどなど、見た目ばかりが注目され、「イタい」と嘲笑の対象となっている。
確かに彼女のキャラクターには興味をそそるものが多いが、「若くない女が若く見せようとする」こと自体が罰され、笑われ、「異形」とされて見せ物にされるような論調には、なんだかもやもやする自分もいる。だって、もし、山辺氏が62歳の日本人男性だったら? 出資法違反などの容疑は別として、若いタイ人女性と付き合っていようが貢いでいようが「よくある話」としてスルーされるだろう。が、62歳女性が31歳のタイ人男性と付き合うことは、何かこの国の人々の「逆鱗」に触れるようである。
この山辺容疑者が逮捕される少し前、首都圏連続不審死事件で収監されている木嶋佳苗被告の死刑が確定した。
料理の上手さや「育ちのよさ」などをアピールして男性を騙し、殺害したとされている木嶋佳苗氏(本人は一貫して殺害を否認している)。この事件で印象的だったのは、彼女が裁判やメディア報道で、そういった「女の武器」を使ったことを責められた、ということだった。家事能力や料理の腕、性のアピールといったものは男性が常に女性に求めるものなのに、それを利用すること自体が批判される。はからずも、この事件は「男社会のダブルスタンダード」を嫌というほど浮き彫りにしたのだった。
そんな木嶋氏が使っていた懐かしい言葉を、死刑を伝える報道で久々に聞いた。
「私は男性礼賛です」
それを聞いて、彼女が「モテた」理由がわかった気がした。男という属性だけで肯定してくれるのだから、男性にとって気分が悪くないはずがない。だけどそれって「ニッポンすごい」みたいな「愛国ポルノ」と、果たしてどこが違うのだろう? 「日本人である」「男である」ということだけの、雑すぎる肯定。しかし、多くの人がその程度の「承認」すら手に入れられないからこそ、これほどの愛国ポルノ番組が日々放送されているのかもしれない。
最近の事件から、いろいろなことを考えたのだった。
次回は6月1日(木)の予定です。
いい妻・できた女の条件って?
(作家、活動家)
2017/05/11