今から10年以上前のこと。
取材を受けるために喫茶店に行くと、不可解な目に遭うことがあった。
取材を受ける際というのは、大抵の場合、相手は私を知っているものの私は相手の顔を知らない。よって店内に入ってキョロキョロしていると、誰かが手を挙げてくれたりこちらに駆け寄ってくれたりするので、「ああ、あの人が新聞/雑誌の人なんだな」ということがわかる。
が、私の方が先に着いてしまったり店が広かったりすると、すぐには相手を発見できない。よってキョロキョロしていると、店の人に「お待ち合わせですか?」と声を掛けられる。人によっては、「あちらの女性ではないですか?」とか「スーツの男性ですか?」などと聞いてくれるのだが、こちらは初対面の相手の性別すら分かっていないこともある。
ある日、「いや、初めて会う人なんで……」と言うと、丁寧だった男性店員の態度が一瞬で変わった。「ハッ!」と小馬鹿にしたように笑い、明らかに私を見る目が変わっている。その目に浮かぶのは、侮蔑と、嘲笑。
え? 私なんかおかしいこと言った??
急に態度が変わったことに驚くものの、何が起こっているのかいまいち分からなくて、その後も同じようなことを繰り返した。いくつかの店でそんな目に遭い、そしてなぜか男性店員は同じような反応をするので(判で押したように全員が「ハッ!」と笑う。「はぁ?」と笑いが混じった感じ)、そのことを友人に言ってみたところ、即答された。
「あんたそれ、出会い系でつかまえた男と待ち合わせしてる女に思われてるんだよ!」
「ええーっ!!」とのけぞったものの、そう言われてみればすべての合点が行くのだった。「初めて会う人なんで」「会ったことない人なんで」と言った瞬間、男性店員が急に冷たくなり、こちらを小馬鹿にしたように笑う理由。そうなのか……。そういうものなのか……。
どこかで深く納得しつつも次の瞬間、思った。もし、私が取材相手ではなく出会い系で知り合った男性と会うのであっても、「客」であることには変わらない。なのになぜ彼らは、「出会い系で男漁りをする女」にはどんな態度をとっても構わないと思っているのだろう? しかも、ほとんど条件反射のように。
男性店員の中には、かなりの教育がなされているだろう高級ホテルのラウンジで働く人もいた。しかし、接客中のプロであっても拒絶・嫌悪を剥き出しにしてしまうほどに、その手の女性は「破壊力」があるようなのだ。
そうしてそんな男性たちは、私が「取材を受けている」と分かると途端に態度が変わり、優しくなったりした。中には動揺して「いや、さっきはちょっと、勘違いして、すみません!」とか謝ってくる人さえいた。
それにしても、彼氏でも友人でも知り合いでさえない赤の他人の店員に、なぜ、そこまで非難がましい態度を取られなければならなかったのだろう。そう、彼らは拒絶し嫌悪しつつ、「非難」していた。「女の欲望」という、秘めておくべきものを突然日常に露呈させた女に対する非難のようだった。
そんなことを思い出したのは、『ストーカーとの七〇〇日戦争』(文藝春秋、2019年)を読んだからだ。著者は文筆家でイラストレーターの内澤旬子氏。『世界屠畜紀行』(解放出版社、07年)、『飼い食い――三匹の豚とわたし』(岩波書店、12年)など多くの著書がある彼女は、14年、東京から小豆島に移住し、海の見える家でヤギと暮らし始めたのだという。東京の高い家賃から解放され、瀬戸内海を眺めながら広い家で仕事をし、ヤギの世話をする。狩猟免許も取得し、小豆島の猪や鹿などの獣害を取材していたという描写からは充実した日々の様子が伝わってくる。が、そんな平穏な日々を打ち破ったのが、ネットで知り合い、8カ月間交際を続けた男性・Aとの別れ話だった。
本書には、ストーカーと化したAと、突然「被害者」となった内澤氏の「鬼気迫る神経戦」の全貌が描かれているのだが、驚くべきは、加害者だけでなく、時に警察や弁護士や法律の不備といった問題も内澤氏を苦しめることだ。そんな中、地味にじわじわきたエピソードがある。それはストーカー被害に遭い、警察に相談に行った際のこと。
「そもそも内澤さんは、あの男とどのように知り合ったのでしょうか」
そう聞かれ、「ヤフーパートナーというマッチングサイトです」と告げた時の反応だ。刑事の顔は、途端に曇る。そうして刑事は言うのだ。
「それはつまり、結婚を目的としたサイトということですね」
まあそうです、と頷きながらも、内澤氏の脳内では大ブーイングがわき起こる。以下、引用だ。
「は――――。勘弁してくれよ。なぜ人々は『出会い系』つまりセックスだけが目的の交際と、結婚目的の交際との二択しかこの世にないかのように語るのだろうか。私のようなバツイチ中年女がセックス目的でもなく不倫でもなく、結婚を前提ともしない、それでも誠意ある交際相手を探しちゃいけないんだろうか」
この言葉に、深く共感するのは私だけではないだろう。そもそもなぜ、「結婚を目的としたサイトということですね」などと確認されなければならないのだろう。
刑事がこんな確認をする背景にあるのは、世の中には「真面目な婚活をする女」と「マッチングサイトで男漁りをする女」の2種類しかいないという価値観ではないだろうか。そうして前者は「善良な一市民」としてなんとしても守らなければならないが、後者はどちらかといえば「積極的に守らなくてもいい」対象に振り分けられている気が、どうしてもしてしまう。貞操とか、純潔とか、その手の言葉が頭に浮かぶ。
ちなみに、ストーカー被害者が男性で、加害者女性との出会いのきっかけが「マッチングサイト」だった場合、「結婚を目的としたサイトですね?」などとわざわざ言われるだろうか? なぜ、女性のみが「まさかあなたは男漁りをしていたわけではないですよね?」というような確認をわざわざされなければならないのだろう。
「男の欲望」は当然のものとして容認され、スルーされるのに、女性の場合、そうはいかない。突然「結婚」なんて単語が出てくるほどに、容認もスルーもされない。一体この時、「いや、結婚目的じゃなくてただ単に性欲満たしたくて」などと言ったら、どんな展開になるのだろう。なんだか怖くて想像したくない。
と、会ったこともない刑事に腹を立てていたら、別の警察官のことを思い出した。それは友人・B子が盗難の被害に遭い、警察に相談に行った時のこと。元ギャルでものすごく適当な性格のB子は昨年、家に出入りしていた男(まぁセフレのようなもの)に大金を盗まれて被害届を出したのだが、その時の警察官がよりによって内澤氏の本に登場した刑事と同じタイプ、そう、名付けて「貞操ポリス 」だったのだ。
B子よりも大分年下のその警察官が「貞操ポリス」だとわかったのは、捜査のためということで、「男と知り合ったいきさつ」「肉体関係を持つようになったきっかけ」まで根掘り葉掘り聞かれた時のこと。