恋愛リアリティー番組『テラスハウス』 に出演していたプロレスラー・木村花さんの訃報が伝えられてからしばらくのSNSの「静けさ」を、私は決して忘れない。
誹謗中傷や罵詈雑言が消え去り、私は初めて、これまでSNSを開く瞬間に「かなりの緊張を強いられていた」ことに気が付いた。何が書かれていても傷付かないよう、あらかじめ「心に蓋をして」見るようにしていたのだ、と。そんな「SNSの平穏」が、一人の女性の死によってもたらされたものであることが、ただただ悔しく、悲しかった。
だけど1週間も経つ頃には、再び「反日」などの言葉 が私に投げかけられるようになっていた。「平穏」は、すぐに終わった。
木村花さんの訃報が届く少し前、私は自身がTwitterに上げた1枚の写真を削除していた。
政治や社会問題に対して「物言う女性」たちとあるパーティーで撮影したものだった。数年前にアップして、アップしたことさえ忘れていたその写真が、その数日前から「反日オバハンの集合写真」などとして見知らぬ人たちに突然リツイートされ始めたのだ。
時間を経るごとに見るに堪えないコメントとともにリツイートされる数は増えていき、コメントの言葉はエスカレートしていった。半分パニックになりながら、私はその様子を見ていた。自分一人だけが写った写真であればまだ耐えられる。しかし、私が数年前、みんなとの写真をアップしたことによって、私以外の女性たちがネット上で罵詈雑言に晒されているのだ。そのことが耐え難く、申し訳なさすぎた。
数時間、リツイートされ続けていく様子を見ながら、私はその写真をそっと削除した。その途端、ぴたりと嫌がらせは終わった。胸を撫で下ろしたのも束の間、「なぜ、このようなことに屈しなければならないのか」と猛烈にモヤモヤした。そのモヤモヤは、今も私の中にある。
2020年2月の本連載「20年以上前の言動を『徹底総括しろ』と言われたら」でも書いたが、ネット上での嫌がらせにはもう何年も悩まされてきた。
「20年以上前に一般人として受けたインタビューの発言を切り取られ、『責任をとれ』『徹底総括しろ』と言われる」ようになったのが2年前。だけどそのずーっと前から「反日」「非国民」なんかの言葉はもう「挨拶代わり」のように投げつけられてきた。そしてやはり2年ほど前には、日時を決めて多くの人が私に大量リプを送るという「悪夢狩り」なるものにも遭った 。
ある日突然、リプライが怒涛の勢いで押し寄せるのだ。通知が秒単位で恐ろしいほど増えていくスマホ画面を見ながら、私はパニックになっていた。自分が自覚のないままに、何かトンデモないことをやらかし、「大炎上」してしまったのだと思った。いったいなんなの? と考える間もないままに、次から次へと大量リプの嵐。それが終わる気配はない。
「ああもうダメだ」と思った。その時、駅のホームなんかにいたら、自分がどうなっていたか分わからない。日常でのちょっとしたトラブルが積み重なっていて心が疲弊していた時だとしたら、それが「最後の一押し」になっていたかもしれない。
今でもあの瞬間のことを思うと、スマホをどこか遠くにブン投げたくなる。結局、大量リプの送り付けは1時間程度で終わった。対象と日時を決めてやるそういう「遊び」「からかい」のようである。しかし、場合によっては対象者の命を奪うだろう。
リプライの内容はというと、「質問攻め」だ。誹謗中傷ではないので、法的に問題にならないよう考えられているのだろう。
SNSでの誹謗中傷が問題になるにつれ、このように「巧妙に誹謗中傷にならないよう配慮された嫌がらせ」が増えたのも特徴だ。執拗な、こちらに非があると思わせるような文章からの質問。悪意ある切り取り。また、私の知人などに対して、私に関する「悪意ある切り取り」を示しながら、「こんな人間(私のこと)と関わってるんですか?」と尋ねるようなものもある。
人間関係を破壊する行為だが、「死ね」などと違って法的に問題があるのか判断しづらい。
ずっとずっと、これらのことに悩み続けてきた。人に相談すること自体、できなかった。なぜなら、親しい人に軽い感じで言ってみても大抵「気にすることないよ」と言われるだけだったし、何よりそんな「被害」に遭っていること、それを「気にしている」こと自体が恥ずかしく、情けないと思っていたからである。ネットでの嫌がらせはリアルでのいじめと同じく、なぜかされている方に激しい「恥辱感」を抱かせる。
だけど、嫌なものは嫌だし、自分がされていることは嫌がらせだし、「気にするな」と言われたって気になるし、実際、過去の発言という「発掘切り取り系」の嫌がらせツイートが拡散されまくることによって、「こんな奴の講演会は中止しろ」と主催団体に抗議が寄せられたりしている。思い切り実害が発生しているのだ。
これ、黙って我慢するようなものじゃないんじゃないのか? 苦しいのは、私だけじゃないんじゃないのか?
そんなことを思い始めた頃、ある活動への参加を誘われた。それは「SNSOS」。正式名称は「SNSにおける労働運動・社会運動に対抗するヘイト攻撃に対するネットワーク」。
さまざまなジャンルの著名人に対するSNSでの中傷があるが、とりわけ「社会に物言う」ような「女性活動家」への攻撃はすさまじいものがある。
例えば15年、安保法制反対運動が盛り上がった際には、大学生で結成された「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)の女性メンバーらにSNS上で執拗な嫌がらせがなされた。卑猥な言葉を投げつけられたり、容姿についてとやかく言われたりするだけでなく、死体写真を送り付けられるなどの被害を耳にしたこともある。
私は5年前のこの時のことを、非常に後悔している。10年以上、社会に物言う活動をしてきた大人の一人として、彼女たちにできることがあったのではないかという後悔だ。
少なくとも私は、この日本社会において「物言う女」がどれほど叩かれるかを知っている。そして大学生という立場であれば、40代の自分とは比較にならないほどに徹底的な攻撃を受けるだろうことも分かっていたし、そんな被害を見聞きしてもいた。だけど、どうしていいか分からなかった。他ならぬ自分自身が自分の被害に対して手立てがないように感じ、立ち尽くしていた頃だった。