そして、その「自由という観念」を支えていた思想こそは、かつてアーレントが、ギリシア的「活動」(プラクシス)と対比的に語ったところの、近代的な「製作」(ポイエーシス)の思想でした(『人間の条件』)。つまり、複数の人間のあいだで歴史的に積み重ねられてきた生活の実践的工夫(活動)ではなくて、国家や政治体制をグランドデザインするための設計主義、社会のあり方をゼロから自由に創り出すために編み出された近代テクノロジーの思想です。この「製作」の思想——系譜学的に言うと、デカルト、ホッブス、ルソー、カント、ヘーゲル、マルクスの系譜——こそが、故郷を離脱した人々の不安を贖(あがな)い、「全体」に対する己の「優越性」を保証するためのイデオロギーとして機能することになったのです。
ところで、この近代における〈製作思想の勝利〉という事態を、アーレントに先んじて、「技術知」の「実践知」に対する勝利として語っていたのが、先ほども紹介した保守思想家のマイケル・オークショットでした。マニュアルに基づいた「技術知」(technical knowledge)は、常識によって培われた「実践知」(practical knowledge)——「伝統知」とも言われますが——によって支えられてきたにもかかわらず、近代以降、両者は切り離され、さらに「実践知」は「技術知」によって隠蔽・抑圧されてきたのだ、とオークショットは言うのです。
では、その「技術知」はいつから流行しはじめたのでしょうか。オークショットは、その起源を、ヨーロッパの宗教的=伝統的秩序が揺らぐ十七世紀初頭に見出していました。
〔現代合理主義誕生の〕この瞬間は、一七世紀初頭であり、とりわけその時代の知——自然についての知と文明世界についての知——の条件に関わっていたのである。〔中略〕この知的ファッションを勢いづけ発展させた深い動機はあいまいだが、それは不自然なことではない。それらの動機は、ヨーロッパ社会の奥深くに隠されているのである。しかしそれに関連あることの一つとして、それが摂理への信仰の凋落と密接に結び付いているのは確かである。有益で誤りなき技術が、有益で誤りなき神に取って代わったのである。〔中略〕この知的ファッションの起源が、自分で発見したものの方が受け継いだものよりも重要だと考える社会または世代、自分の成し遂げたことに過度に印象づけられて、ルネッサンス後のヨーロッパの特徴的愚かさであるあの知的壮大さの幻想を抱き易い時代、自分の過去と決して折り合うことをしないために決して精神的に自分自身と平和な状態にない時代、にあることも確かである。(「政治における合理主義」一九四七年、嶋津格訳、『政治における合理主義』(勁草書房))
十七世紀という時代は、シェイクスピアが、ハムレットに「この世の関節がはずれてしまったのだ」(『ハムレット』一六〇一年、福田恆存訳、新潮文庫)と語らせ、詩人のジョン・ダンが「宇宙のあらゆる関節が、残らずばらばらに外れたのだ」(「一周忌の歌―この世の解剖」一六一一年、湯浅信之訳、岩波文庫)と歌っていた時代、つまり、長引く宗教戦争の混乱によって、ヨーロッパにおける「摂理への信仰」が凋落してしまった時代でした。そして、その動揺する宗教共同体の不安、あるいは、その凋落してしまった「摂理」の穴を埋め合わせるようにして呼び出されてきた思想、それが、宗教共同体から切り離された知性を寿ぐためのイデオロギー、つまり、伝統を脱ぎ棄てた裸の個人に自律性を与えるために見出された理性主義、科学革命を媒介として一般化された現代合理主義の「技術知」だったのです。
しかし、「技術知」は「技術知」だけで自律できるものなのでしょうか? あるいは、「技術知」は、本当に私たちの信仰の穴を埋め合わすことができるものなのでしょうか?
その問いの延長線上に遅れて現れてくるもの、それこそが、オークショットの言うところの「実践知」であり、小林秀雄の語っていた「直感力」にほかなりません。それは、身体を伴った経験によってのみ培われる「暗黙知」(マイケル・ポランニー)であり、時と所と立場によって変化する個別具体的な状況への洞察力と適応力を孕んだ無意識の力でした。(註1)
Ⅲ「実践知」の射程——先入観と伝統感覚
ここで「実践知」についての詳細を議論する余裕はありませんが、少なくとも、その大枠を理解するために、オークショットが挙げている例を少しだけ見ておくことにしましょう。
オークショットは、特に「実践知」が必要とされる領域として、料理、絵画、音楽、詩、宗教、政治、医療、そして、イデオロギーとは無縁の真に科学的な活動などを挙げていましたが、ここでは、最も分かりやすい例として「料理」を取り上げることにしましょう。
言うまでもなく、料理についての知識は、本に書かれているレシピ(マニュアル)に尽くせるものではありません。最もシンプルなパスタ料理(たとえばペペロンチーノなど)を作るにしても、そこで使うパスタやオリーブオイルや塩の種類は無数に存在し、さらに、その原料であるところの小麦やオリーブの品種、あるいは、それらが育った環境(その時と処)までを考え合わせれば、その組み合わせはほとんど無限と言っていいでしょう。いや、パスタを作る道具や、それが使用される環境(厨房や台所の様子)、ガスの火力、その日の天気、そして、何よりもパスタを作る人の性格や機嫌によっても、その味が変わってきてしまうのだとすれば、料理という「実践」を、一般的で明示的なルールや「技術」だけに還元して事足れりとする態度が非現実的なものであるのは誰にでも分かることだと思います。
では、レシピやマニュアルは、放棄しても構わないものなのでしょうか?
そうではないでしょう。私たちは、マニュアル(技術知)を一種の大枠として把握しつつ、そこに無限のニュアンスを実践的に付け加えていくのです。いや、正確には、その反対が正しい。世界に対して無限のニュアンスを付け加えていく「実践知」を信じていればこそ、私たちは、「技術知」に囚われることなく、マニュアルを使いこなすことができるのです。
実際、全ての情報を「技術知」として把握してから料理をしなければならないのだとすれば、私たちは、いつまでたっても実践に踏み出すことができないのみならず、実践に踏み出したところで、終始ぎこちない振る舞いを強いられることになります。要するに、私たちは、〈明示的なルール〉によって生きているのではなく、世界に対する〈馴れ親しみ〉によってこそ生きているのだということです。その盲目的な「先入観」と内なる信頼感、それこそが、マニュアルを超えた「実践」のモメントを創り出しているものなのです。
そして、この「先入観」の擁護という主題において、あのエドマンド・バークとオークショットとの絆が、つまり、保守の「思想」が最も分かりやすく示されることになるのです。
(註1)
このオークショットの言う「実践知」に関しては、それがハイエクの知識論や、マイケル・ポランニーの「暗黙知」の議論と重なることが度々指摘されてきましたが、さらに興味深いのは、その「実践知」の擁護と同じ論点が、数学的知識(技術知)を中心化したデカルトの分析的認識論(合理主義)に対する、十七世紀のジャンバッティスタ・ヴィーコ(イタリアの王立ナポリ大学の修辞学・雄弁術の教授・一六六八~一七七四)による遅れた批判においても見い出せるという点です。ヴィーコは、真偽の判断に関わる分析的技術としての「クリティカ」(技術知)と、論拠ないしは論点を発見する常識力(コモン・センス)としての「トピカ」(実践知)とを区別しながら、後者の力を、歴史のなかで育まれる「共通感覚(センスス・コムーニス)」と結びつけていましたが、この議論は、近代以降の進歩派の認識論に対する保守派の認識論として整理し直すことができます。ここでは指摘に留めますが、その内実については、本論のなかで触れるチャンスがあれば、触れたいと考えています。