今度は、エドマンド・バークの『フランス革命についての省察』から引いておきましょう。
わたしたちは一般に、教育を度外視した感情で動く人間で、自分たちの古くからの先入観をまるごと投げ捨てるどころか、それを心からたいせつにするのです。さらに恥ずかしいことに、まさに先入観であるからこそたいせつにします。それもその先入観が長つづきしたものであればあるほど、世に広まったものであればあるほど、いとおしむのです。〔中略〕わたしの国の思想家の多くはこうした一般的な先入観を否定せず、先入見のなかに生きている潜在的な叡智を掘り出すために知恵をめぐらせます。そして探していたものを見つけても(失敗することはまずないのですが)、先入観の衣を捨ててそのなかの裸の理性だけを取り出したりはしません。内側に理性をふくませながら先入観を維持するほうが望ましいと考えるのです。というのも理性をふくむ先入観は理性に行動を起こさせる動機になりますし、そこにふくまれている愛情によって永続するものになるからです。
緊急のときにも先入観はすぐに動き出します。先入観は精神を、叡智と徳のしっかりした道へと向かわせるのです。そして決断すべき瞬間に人をためらわせたり、疑わせたり、困惑させたりしません。決断しないままにもさせません。先入観があることでその人の徳は習慣になり、その人の義務は本人にとって自然な本性の一部になるのです。(『フランス革命についての省察』二木麻里訳、光文社古典新訳文庫)
この引用を注意深く読めば分かると思いますが、バークは決して「理性」を否定しているわけではありません。ただ、「先入観」の衣によって包まれていない「裸の理性」だけでは、行為には踏み出せないと言っているだけです。まさに「実践知」(経験)抜きの「技術知」(マニュアル)が使いものにならないように、「先入観」抜きの「理性」もまた、「決断」を前に、分析と反省を繰り返すばかりで、行為に踏み出せなくなってしまうのです。
と同時に、バークが語る「先入観」が、小林秀雄の語っていた「直感力」とも似た響きを持っていることにも注意してください。「先入観」ぬきに私たちが適切に行動できないのと同じように、「直感力」なしに目の前の作品の良し悪しが分からなくなってしまうことはもちろん、自分にとって何が良いもの(調和)で、何が悪いもの(不調和)なのかさえ分からなくなくなってしまうのです。ちなみに、この作品を前にした「直感」の議論は、マルティン・ハイデガーが論じることになる「先(せん)了解」や「解釈学的循環」の議論とも正確に響き合っています(拙著『小林秀雄の「人生」論』NHK出版新書、参照)。
しかし、それなら、私たちの「生」は、つねにすでに私たちの意識を超えて、ある文脈において方向づけられている(先入観が与えられている)ということなのでしょうか?
そうなのです。私たちの認識が「規則」を超えた「生活形式」(ウィトゲンシュタイン)によって支えられているのと同じように、私たちの「生」は、「技術知」を超えた「実践知」の積み重ねによって、つまり、与えられた伝統によって支えられているのです。
とすれば、もうお分かりだと思いますが、保守思想を何か特別なイデオロギーとして語ることは間違っています。私たちが生きている現場に沿って、その「生」の経験と矛盾しないように言葉を組み立てていくこと——だから保守思想は、「素直さ」と「正直さ」、そして「常識」というものを何よりも徳としてきたのでした——、そして、その結果として現れてくるもののなかに適切に自分を位置づけること、つまり、個人を制約し、またそれを支えている歴史と自然のなかに自己の生き方(調和と不調和の感じ方)を見出すこと、その営みにおいてこそ、保守思想の輪郭は形(かたち)づくられてきたのでした。
さて、保守思想への助走は、もうこれくらいでいいでしょう。次回からは、保守思想が「敵」としてきたイデオロギーと、それに対するバークなどの反応を確認すると共に、さらに、今回お話しした「先入観」や「直観」についての議論を、啓蒙合理主義に対する批判的な思想系譜——特に二十世紀における近代批判の思想的営みを媒介としながら——において論理的に基礎づける作業へと入っていきましょう。その上で、伝統の切断によって成り立った近代日本の経験や、その「大衆性」を増していく現代日本の問題についても論じたいと考えています。それなりに長い連載になりそうですが、お付き合いいただければ幸いです。
(註1)
このオークショットの言う「実践知」に関しては、それがハイエクの知識論や、マイケル・ポランニーの「暗黙知」の議論と重なることが度々指摘されてきましたが、さらに興味深いのは、その「実践知」の擁護と同じ論点が、数学的知識(技術知)を中心化したデカルトの分析的認識論(合理主義)に対する、十七世紀のジャンバッティスタ・ヴィーコ(イタリアの王立ナポリ大学の修辞学・雄弁術の教授・一六六八~一七七四)による遅れた批判においても見い出せるという点です。ヴィーコは、真偽の判断に関わる分析的技術としての「クリティカ」(技術知)と、論拠ないしは論点を発見する常識力(コモン・センス)としての「トピカ」(実践知)とを区別しながら、後者の力を、歴史のなかで育まれる「共通感覚(センスス・コムーニス)」と結びつけていましたが、この議論は、近代以降の進歩派の認識論に対する保守派の認識論として整理し直すことができます。ここでは指摘に留めますが、その内実については、本論のなかで触れるチャンスがあれば、触れたいと考えています。