アウンサンスーチーを支持して軍政に抗い、現在はヤンゴンにオフィスの有るNGOに勤め、リベラル、寛容と言われるビルマ族スタッフですら、ロヒンギャに対して、(1988年の民主化運動では共に闘ったにもかかわらず)極めて冷淡な態度を取ることを耳目にした。
対立している民族、という見方とも違う、ただただ過激な異教徒、違法犯罪者という口調なのだ。考えてみれば、ロヒンギャをミャンマーの民族ではないと規定してしまったビルマ市民権法が制定されてから、すでに35年が経過している。40歳代以下の仏教徒たちにすれば、生まれたときから「ロヒンギャは存在しない」という公的な歴史教育を受けているのである。対立民族への憎悪すらなくなり、彼らを不可視にしてしまうには十分な年月がすでに経っているとも言えるのだろう。
ラカイン州で見たもう一つの差別
一方で、翌日に渡ったラカイン州で予想外の出会いもあった。筆者は現場取材を手伝ってくれる運転手兼助手を探していた。先述した通り、ロヒンギャは移動の自由が制限されているので身動きが取れない。それでも伝手を辿っていくとひとりの人物がラカイン州北部のシットウェ空港まで迎えに来てくれた。ゾウと名乗った。熱心に取材をサポートしてくれるゾウに背景を聞くと、「俺は(ロヒンギャではなく)アラカンだ」という。ラカイン州ではムスリムのロヒンギャと仏教徒のアラカンという民族が激しく対立しているという報道がなされており、実際にアラカンの右派民兵組織が焼き討ちなどを行っているとも聞いている。そんな民族がロヒンギャに対する取材に協力をするはずなどない、という先入観で見ていたが、実際に車を操り、ロヒンギャのエンクレイブ(飛び地の異民族居留地)を案内し、淡々とその迫害の歴史を語る彼はまぎれもなく仏教徒であった。現在は政府による分断が進んでしまったが、2012年になるまではムスリム(それでもやはり「ロヒンギャ」とは呼ばなかった)とも同じ学校で学んでいて、仲の良い友人もたくさんいたという。そして、アラカンもまたミャンマー中央政府からは厳しい弾圧を受けていると指摘する。「見せたいものがある」と川に連れていかれた。停泊する幾多の小さな漁船に家族が鈴なりになって暮らしているのが見えた。いわゆる土地を追われた水上生活者たちであった。「皆、アラカンだ」と言う。船底に向けて目を凝らすと、砂や泥がこびりついた壁に老婆や子どもがもたれかかってじっとしている。不衛生な状態が一目瞭然であった。
この問題は宗教差別だけではなく、ラカイン州に対する地域差別でもあるのだ。その中でも無国籍者のロヒンギャは最下層に置かれる。ゾウが言うには現在、ロヒンギャはアラカンとの交流も含めた外部との接触を絶たれている。
分断された現場はシットウェ市内の至るところで見ることが出来た。破壊されたモスク、ピンポイントで燃やされたロヒンギャがかつて生活していた住居、そして隔離され警察に監視されるコミュニティ。
当事者が語る迫害と分断の実態
ゾウの紹介でロヒンギャに会うことが出来た。シットウェよりさらに北、軍事作戦が行われているラカイン州マウンドー地区に外国人ジャーナリストが行くことは困難だが、彼から情報を得られた。
「25日から民家に対する焼き討ちと非戦闘員に対する殺害や性暴力が行われている。凄く多くの人が土地を捨て、難民にならないといけなくなるだろう。そして我々ロヒンギャがミャンマーに帰還できなくなるような仕打ちがされるのではないかと心配している」
今、読み返してもこの予言は的確だった。ミャンマー軍、警察、民兵部隊による迫害はさらにここから熾烈を極め、難民の流出は止まるどころか、加速していった。
ロヒンギャに対する迫害は在日のミャンマー人の間でも深刻さをもたらしている。
8月の軍事作戦を受けて、在日ロヒンギャビルマ協会は品川のミャンマー大使館に向けて、抗議デモを繰り返していた。すると何が起きたか。同協会の会長ハロンラシッドは都内でミャンマー雑貨や食料品を売る店を経営しているが、店のフェイスブックページにはビルマ文字でこんな投稿が記されていた。
「●●(店名)にはこれまでたくさんのミャンマー人が買い物に行ってあげていた。しかし、そんなふうにお世話になっているのにもかかわらず、この店の主人は最近、バングラデシュのテロリストたちと一緒にミャンマー大使館にデモをしかけている。彼らはベンガル人だ。ミャンマー人ならばこんな恩知らずの店で何も買ってはいけない。国家に忠実でない奴ら」
在日のミャンマー難民のほとんどは民主化運動を推進して来た人々と言っても過言ではない。その彼ら、彼女らもロヒンギャ問題についてはまったく口を閉ざすか、「なぜ、今スーチーを貶めるようなことをするのか」と、結果的に現政権を批判することに、むしろ異議を呈する。複雑でまた根が深い。
難民キャンプを襲う更なる苦難
10月7日、筆者はバングラデシュのロヒンギャ難民キャンプ、バルハリ、テンカリ、クトゥパロンを取材した。詳細のレポートは11月13日発売の「週刊プレイボーイ」に記したので重複は避けたいが、大きな問題については再度記しておきたい。急増し続ける難民に対する医療支援が追いついていない。機銃掃射にやられて被弾した負傷者に何人も会ったが、外科手術ができずに彼らのほとんどが、体内に弾が残ったままであった。