しかし、こういう仕打ちをされる度に、やはりやるせない思いはつきまとうと言う。
思い浮かんだシーンというのは、不条理に耐えているこのときのアウンティンの姿である。日本政府の棄権は、今まさにアウンティン自らが信じ、生活をしている居場所に存在を再び否定されたかのような、アイデンティティーの喪失感を与えたことは想像するに難くない。
日本政府は何をすべきか
2017年12月4日、参議院議員会館において、院内集会が行われた。NPO法人ヒューマンライツ・ナウ、国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ、公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン、そしてミャンマーの民主化を支援する議員連盟が共同で「ロヒンギャ人権危機と日本外交を考える」と題した会を開いたのである。関心は高く、約100人の参加者で会場は埋まった。
ヒューマンライツ・ナウ事務局長の伊藤和子弁護士は 「この非常に残念な日本政府の態度を改めてもらうべく開催した」と宣言。冒頭で私はバングラデシュのロヒンギャ難民キャンプでの現状報告を行った。国会議員は石橋通宏、藤田幸久(民進党)、福島瑞穂(社民党)、逢沢一郎(自民党)、山川百合子、阿久津幸彦(立憲民主党)が参加し、それぞれに発言した。だらだらと自己アピールしかしない議員もいた中、福島議員は長年にわたり、ロヒンギャを取り巻く問題に積極的に取り組んできただけに、そのスピーチは日本政府は何をすべきかを腑分けし、現実に踏み入ったものであった。
続いて発言した在日ビルマ人難民申請弁護団事務局長の渡邉彰悟弁護士はロヒンギャ迫害の背景を歴史と政治の観点から説明した。そして「今、ロヒンギャを難民と言わずに何と言うのか。彼らは紛れもない難民である。にもかかわらず牛久の入管にはまだ一人のロヒンギャが10カ月も収監されたままです」と提議した。青年のうつろな顔が思い浮かんだ。
在日ロヒンギャの訴え
集会の核として、埼玉県で暮らすロヒンギャのゾーミントゥによるスピーチがあった。ゾーミントゥの半生はロヒンギャの現代史をなぞっていると言えよう。ラカイン州で生まれ、当時の首都ヤンゴンの大学で学び、そのときに軍事政権によって軟禁されていたアウンサンスーチー(現・ミャンマー国家顧問)と出会った。彼女の演説に感激し、彼女を支持すると決意した。ミャンマーを支配していた軍政に憤り、民主化運動に没頭していく。1998年には学生デモを指揮したことで逮捕され、4カ月の拘束を経て釈放されるもすでに国内では危険が迫っていた。命がけで国外に脱出し、日本にたどり着いた。艱難辛苦の末、ビジネスで独立を図り、現在はリサイクル業を営んでいる。
ゾーミントゥは当事者として、これまで他者に対してもう何度も何度も語っているであろう、問題の背景を語り出した。1982年に制定された「ビルマ市民権法(国籍法)」によってロヒンギャは無国籍者、バングラデシュから来た違法移民にされてしまった。ミャンマー国民として存在さえ否定されたことに対する抗いが口から出る。
「ロヒンギャ問題は最近起きたのではありません。軍事政権の時代から今に至るまで人権侵害を受けております。ロヒンギャの人たちはミャンマーのラカイン州に何世紀にもわたって住んでいました。1948年から62年まで、民主的に選ばれたミャンマーの政権というのがありましたが、この時代には少数民族として認められ、国籍も与えられ、人権も保障されておりました。62年に軍のクーデターがあり、それからずっと人権侵害が続いております」
2012年以降も弾圧は続き、今でもラカイン州北部のシットウェ市にあるIDP(国内避難民)キャンプの中に15万人のロヒンギャの人たちが入れられていること、そしてこの8月から起きている激しい攻撃についての報告がなされた。数千人の人たちが殺され、少女たちがレイプされ、子ども、高齢者などが被害にあっていることなど、深刻な被害状況が口から出る。
「こういったことを主張しているのは我々だけではありません。国連も、アムネスティ・インターナショナルなどの人権団体も、情報を検証したうえで言っています。私が不安に思っているのは、世界がこれに対して動いていないこと。ただし、世界に対して文句を言う前に、日本政府に対して申し上げたいことがございます」
日本は軍事政権時代も、現在の国民民主連盟(NLD)政権となってからも、ミャンマーと非常に強い二カ国間関係を保っている。ゾーミントゥは、2017年11月、安倍晋三首相がフィリピンに行った際にアウンサンスーチーと会って、1250億円という巨額の経済支援の約束をしたことに触れた。日本はミャンマーに対する最大の援助国であり、投資国である。
「こんなに強い影響、関係をミャンマー軍や政府と持っています。だからこそ、日本政府は、ミャンマー政府にはっきりと、このようなジェノサイドを止めなくてはならないと言う責任があるはずです。日本は平和国家です。そしてアジアにおける民主主義のリーダー国でもあります。であるからこそ、私たちロヒンギャとしては、みなさまに希望をかけている。この悲惨な状況にあるロヒンギャの人たちを何とか守ってください」
絞り出すような声による切なる訴えであった。ミャンマーに対して日本政府だからこそできる平和構築がある。それをなぜしてくれないのか。アメリカもイギリスもフランスも、先進諸国のほとんどが賛成した採択をなぜ棄権したのか。
2017年11月、ミャンマーとバングラデシュの政府の間で結ばれた、避難民をミャンマーに帰すという合意についても訴えた。「この合意というのは私たちは絶対に受け入れられません。ロヒンギャはミャンマーに帰されると外国人にされてしまう。そして収容キャンプに入れられてしまう」
ついにはアウンサンスーチーへの失望も口にした。「2012年、当時のテインセイン大統領はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の当時トップであったグテーレスさん(現・国連事務総長)に言いました。ロヒンギャというのは我々の国民ではない。難民キャンプに収容するので、UNHCRはこの人たちを第三国に連れていってください、と。まさに当時テインセイン大統領がやろうとしたことを、いまアウンサンスーチー政権が、実行していると言えるのではないでしょうか」
「ロヒンギャ」という言葉を消すな
最後にゾーミントゥは重要なことを問いかけてきた。
「信じられますか? 実は、日本政府はロヒンギャという言葉を絶対に言わないんです。私たちは自分たちの民族名を捨てたことはありません。それなのに私たちの民族名に言及することさえしてくれません。私どももみなさんと同じように人間です。また日本政府はミャンマー軍のトップと会いましたけれども、その際に、『アラカン州でみなさんがやっていることを理解しております』というふうに言いました。この理解というのはどういう意味なのでしょうか。軍がいまやっていることを支持しているということなんでしょうか」
2017年12月1日、バングラデシュを訪問したローマ法王もロヒンギャという名前を使い、難民たちに寄り添うことを言明した。
難民条約
難民を保護することを目的とした国際条約。1951年の国連全権会議で締結された「難民の地位に関する条約」(54年発効)と、同条約を補足するために66年に採択された「難民の地位に関する議定書」(67年発効)を合わせて難民条約と呼ぶ。
「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見」を理由とした迫害から逃れて国外に出た者を「条約難民」と定義し、難民の取り扱いに関する人道的基準などを定めている。また、難民に不法入国のみを理由とした刑罰を科すことや、迫害が待つ地域に難民を追放・送還することなどを禁止している。
日本は81年加盟、82年発効。
仮放免
日本の入国管理局に収容されている者について、情状や健康状態などを考慮して収容を停止すること。多くは身元保証人や保証金を伴う申請が必要となる。また、仮放免中は、就労や保険加入、移動などに関して制限がある。