しかし、日本の外務省のHPを見るとロヒンギャという記述は無く、「ラカイン州のイスラム教徒(ムスリム)」という書き方がなされている。まさに不可視の暴力である。
ロヒンギャの問題については日本政府ばかりか、NGOも腰が引けている傾向がある。私は二つの団体からゲストスピーチ依頼を受けたが、ピースボートは、当事者としてのロヒンギャ難民の同席を提案したところ、国際クルーズ船の「ミャンマーへの入港拒否のリスクを考え」てこれを断って来た。AAR JAPAN(難民を助ける会)は「ヤンゴンにもオフィスがあり、そこへの妨害を懸念して」報告会のタイトルを「ミャンマー避難民報告会」とし、報告の中でもロヒンギャという言葉を避けて進行していた。AARの名誉のために言えば、会の途中で私が「ロヒンギャという言葉を使いましょう」という提言をすると、スピーカーは即座に対応して、以降はロヒンギャという言葉が交わされていった。
団体として危機管理をするという考えは分からなくはないが、ロヒンギャの場合は存在が不可視にされてしまったところからその差別は始まっている。ミャンマー政府の意向を忖度してロヒンギャというワードを消すことはその弾圧に加担してしまうことだ。彼ら彼女らはロヒンギャという名前と存在を否定され、弾圧されているのだ。ならばロヒンギャとして可視化して弾圧を跳ね返さなくては解決にはならない。当事者のアイデンティティーを尊重し、私たちは明確に伝えなくてはいけない。塵芥のごとく扱われている彼らの声を今こそ聴かなくてはいけない。
ロヒンギャ難民キャンプから~迫害の証言1
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難民条約
難民を保護することを目的とした国際条約。1951年の国連全権会議で締結された「難民の地位に関する条約」(54年発効)と、同条約を補足するために66年に採択された「難民の地位に関する議定書」(67年発効)を合わせて難民条約と呼ぶ。
「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見」を理由とした迫害から逃れて国外に出た者を「条約難民」と定義し、難民の取り扱いに関する人道的基準などを定めている。また、難民に不法入国のみを理由とした刑罰を科すことや、迫害が待つ地域に難民を追放・送還することなどを禁止している。
日本は81年加盟、82年発効。
仮放免
日本の入国管理局に収容されている者について、情状や健康状態などを考慮して収容を停止すること。多くは身元保証人や保証金を伴う申請が必要となる。また、仮放免中は、就労や保険加入、移動などに関して制限がある。