「来たゾ!ふるさと探偵団」という、地方を中継車で回る情報番組では、いきなり漁村や山村に入って行ってもすぐに地元民と打ち解けて、取材の許諾を取ってしまうので重宝がられた。グルメ観光のコーナーなどでは、水産学部出身の強みを生かし、あちこちに張り巡らされた漁師のネットワークを駆使して段取りを仕切っていった。
仕事ぶりが評価されてディレクターとして一本立ちすると、今度は数学の才能が役立った。番組を作るときの企画アイディアにも、どこかに数式があることに気がついたのだ。まず物事を因数分解する。AX+BXならば(A+B)X、と、( )で括って事象の整理整頓を施し、そして意外性のあるもの、いわばシュールなものをくっつけていく。意外なもの同士をどう結びつけるのかだけなら、すべての発想の基本だが、その前に要素を分解しておくということが重要だった。青木は異化効果の演出方法を数学で身につけていたと言える。
映像の編集作業でもまた同様に自分なりの公式を見つけだした。回りだすと早い。100本ほどあるテープ素材も一度見れば頭に入るので、あとは構成要素を因数分解の公式に当てはめて脳内で編集してしまうのである。ディレクターとしてのスキルは一気に開花して20代でチーフを勤め上げた。その後も中京テレビの「PS愛してる!」「クスクス」といった高視聴率番組、「お助けマンマミーア!」などのタブーに切り込んだ情報番組も手がけてきた。
インターネットで、軽やかに作る
現在はテレビ制作部を離れ、コンテンツ統括プロデューサーとしてインターネットによる動画配信サービス「Chuun(チューン)」でオリジナル番組を作っている。
相変わらず、マーケティングから入らず、F1層(20~34歳の女性)といったカテゴリー分類にも、再生回数にも頓着しない。
青木は言う。
「再生回数についてもよく聞かれるんですけど、そんなの僕の中では数百回が精一杯なんですよ。150回くらいいけば良くて、その中でちゃんと教育して次の才能の芽を育てるのが別の狙いなんです。クリエイターや視聴者が、みんなそれぞれ年も取っていく中で、種を蒔いて次を育てる。
一般論では、若者がテレビから離れてるから、若者回帰のためのものを作ろう、とか言うんですね。でも、テレビのマーケティングでF1層とかいうのが、僕はもう昔から嫌いで。Femaleの20~34歳を一緒くたにしても、20歳と34歳じゃもう全然ライフスタイルも違うのに。若くても年寄りみたいな人はいるし、年寄りでも若いやつはいるんです。そういう意味でも、見ていて面白いと思うのが60歳でも僕はいいし、それが10歳の小学生でもいいと思うんですよ」
また、青木は目下、多次元クリエイティブという実験に挑戦している。多次元クリエイティブとは何か。これまではクリエイターの一次創作に対価を払い、権利を確保してそこから利益を得るのが一般的だった。勝手な二次創作以降は禁止、もしくは利益の出ない範囲での黙認である。ところが、青木が進める多次元クリエイティブは、二次創作をフリーにすることで、むしろクリエイターを育てようという発想なのである。例えば作家の石田衣良にオリジナル小説を書いてもらい、二次創作以降の権利はフリーにするという契約を結ぶ。そして、「石田さんがキャラクター造形した主人公を自由に使って新しい物語を作って下さい」という募集をかけるのだ。「もちろん石田さんの快諾も大きいですが、すごくレベルの高い作品が集まるんですね」。
青木が進める多次元クリエイティブにおいて、クリエイターは自分の名前を出す。ネットの世界での責任を負っていこうという覚悟が感じられた。
「各所からコンプライアンスはどうなっているんだと言われましたが、クリエイターたちは『私がやります』と宣言してやるわけですから、そこははっきりしています。そういうものが今、テレビには無いですよね。責任が分からないような仕組みになっていて、実際に誰も責任を取らないからいいかげんだし、ネットの住人に叩かれたら、ただ自粛していく。そうじゃなくて、覚悟をしたクリエイターが自分の名前のもとにすべてを引き受けて創作していく。そういうものを僕は意識しています」
「みんなちがって、みんないい。」
かように尖ったことを発信し続ける青木は、その感性の源を、「やっぱり小学校にほとんど行っていなかったことも大きいんやないですかね。皆と一緒が当たり前やと、どうしても思えなかったことが、こういう仕事をする上で役に立っているんやないかと思うんです」と語る。
泰明小学校がアルマーニの標準服を採用したことをどう思うか訊いてみた。
「銀座というエリアの風土を、階級化を、大人が勝手に決めてますよね。僕が小学生の頃も赤いランドセルを持つと教師は『黒にしとき。そうしたらいじめられへんで』と言うだけで、赤が駄目な理由を誰も説明してくれなかった。まあ、アルマーニの制服やったら僕はますます学校に行ってないでしょうね」
本来、内面から表れるはずのアイデンティティーを服装で勝手に決められる。そもそも皆と同じ制服をなぜ着なくてはならないのかという説明を、誰が合理的にできるのだろうか。
青木は今、金子みすゞ(1903~30年)の詩に倉本美津留の曲をつけ、2020年の東京オリンピックでのセレモニーで、世界に向けて歌を発信することを目標としている。「あの時代の童謡って“ロック”だったんです。文語体が中心だった頃に、歌を歌いたい金子みすゞは口語で詩を書き連ねた。そしてその言葉がどれだけ物事の本質を突いているか。サン=テグジュペリが『星の王子さま』(1943年)を書く前に、『大切なことは目に見えないんだ』と看破していた詩人がいた。そんな女性が、男性にしか参政権が無い時代の日本にいたことを、世界の人に知ってもらいたいんです」
青木が好きな詩は「わたしと小鳥とすずと」。「みんなちがって、みんないい。」の一節で終わる作品である。日本中どこもかしこもダイバーシティーという言葉であふれているが、赤いランドセルを背負う男の子はまだ苦労しているのではないか。