「ずっと難民申請が塩漬けにされていて、認定がなされたのが、1998年8月に緒方貞子さん(当時の国連難民高等弁務官)が法務省で問題提起をしてからです。すでにアウンサンスーチー氏が軍事政権によって軟禁状態に置かれていて、酷い人権状況であったのが分かっていたのに(難民申請を)塩漬けにしていたのは、国軍のクーデターで誕生したSLORCを早々と承認したのが、日本政府であったからです。軍政であるにもかかわらず、距離を取らずに友好関係を保っていたかったからです」
ミャンマー人の難民認定は政治案件とされていた。難民保護の大原則はそこに政治を持ちこまないということが国際的な大前提であるにもかかわらず、その禁を大きく破っていたと言えよう。緒方効果でようやく認定者が出たが、以降も相変わらず「塩漬け」や不認定が続いていた。
2007年の変化
次に変化があったのが2007年である。何があったのか。ミャンマーで民主化デモを取材していた日本人ジャーナリストの長井健司氏が、同年9月に国軍兵士の銃撃によって死亡するという事件が起きたのである。以降、2011年までミャンマー人に対する「人道配慮」措置(※難民条約で定義された難民〈条約難民〉としては認定しないが、国際的な保護を必要とする申請者に対し、人道上の観点から在留を許可する措置)の件数が飛躍的に伸びた。
「日本人記者が現地で殺されてからようやくです。ようやくミャンマー人難民申請者の保護が必要だと気づいたのです。しかし、それでも難民認定はしなかった。あくまでも人道配慮で、難民として保護すべき人たちをあいまいな形で保護したのです。人道配慮は1年ごとに更新をしないといけない」
欺瞞に満ちた「民主化」を受け入れた不認定の時代
2010年の総選挙を経て、テインセイン政権が誕生すると、これを日本の法務省は「民主化」と捉えた。当該総選挙は2008年制定の新憲法に基づくものであるが、この新憲法は不正な国民投票で承認・成立させられたものであり、国軍が国会議席の25%を確保することが記されている。国軍の権力維持が担保されている2011年に「ミャンマーが民主化した」などと考えるような国際的な難民認定機関は存在せず、実際に軍幹部のテインセインが大統領に就任して以降、激化した国内紛争によって追われたカチン、カレンなど少数民族の人々が日本に逃れて来た。
「しかし、もう日本の入管はミャンマー人難民申請者に向き合うことを止めてしまいました。以降、難民認定はほぼされなくなった。そこからの政治的配慮は露骨でした。あの当時に難民認定機関である入管が、テインセイン政権を民政だと評価するのは絶対におかしい。NLDは(2010年の総選挙を)ボイコットしていたし、軍政の継承でしかないわけです。日本政府も日本企業も実はこういうことを分かっていながら、ミャンマー支援を続けてきたのです。深く関わることでミャンマー権益を吸ってきた人たちなので、そういった事実を見たがらないのです」
NLD政権時のロヒンギャ弾圧
2016年4月からはアウンサンスーチーのNLDが政権を担ったが、2008年憲法に護られた国軍をコントロールできず、2017年8月25日からはミャンマー西部ラカイン州の少数民族であるロヒンギャに対する民族浄化が始まった。国軍や警察による無辜なる民間人への虐殺、放火、性的暴行、略奪が行われて約80万人が国を追われたが、2018年から2020年にかけての日本によるミャンマー出身者の難民認定は0、人道配慮は2であった。ミャンマー政府が一方的に国籍を剥奪し、国連の調査委員会が「世界で最も迫害されている民族」と報告したロヒンギャを入管は一人も難民認定していない。
「なぜロヒンギャを救わないのか。ミャンマーを追われて難民申請している人たちは地方に居住地域のある少数民族が圧倒的に多い。カチン、カレン、シン、ロヒンギャなどの人々です。カチンの住む北部山岳地域は翡翠の採掘地ですし、ロヒンギャのラカイン州はインド洋からのパイプラインの出入り口です。国軍はこれらの利権を狙って迫害を続けている。数字を見れば明確ですが、日本に逃れてきた少数民族の人たちは複数回申請者が多い。何度もやらされているんですよ。政治的な理由によって排除されて、救われていない状態が続いているのです」
世界の難民を前に「何もしていない」日本
そして今年、2021年2月1日に軍事クーデターが起こった。国軍が民間人を殺し続けている現状に鑑み、5月20日に日本に滞在するミャンマー人に対して「緊急避難措置」として、6カ月の滞在と就労等を認める「特定活動」枠での在留を許可する制度が設けられた。表向きは民主国家の体をとるミャンマーの暴力的な支配構造が一気に可視化されたはずだが、ピエリアンアウン以外ではようやく9月15日にロヒンギャの家族5人が認定を受けたに過ぎない。
30年近く在日ビルマ人難民申請弁護団の活動をしてきた渡邉弁護士は、現在も250件を超える入管関連の折衝を抱えている。約3000人のミャンマー人が難民申請をしていることを考えれば1割近くの人々を1人でフォローしている。その渡邉弁護士は現状をこう見ている。
「少数民族は(軍事クーデターの起こる)2月1日以前から、帰国すれば危険だったわけですが、そこに加えてマジョリティであるビルマ族も同様の状況になってきました。出身国の状況を見れば明らかにこの人たちは難民だと僕は思っています。ミャンマー政府に抗議する『不服従運動』をしている人は日本にたくさんいるし、それはミャンマー政府もチェックしている。ところが、クーデターが起こってからこれまで人道配慮で保護されたのはたったの4人ですよ。ピエリアンの認定後も、難民認定をせずにできるだけ緊急避難措置の枠に抑え込もうとしているわけです。人道配慮の場合、滞在1年ごとに更新して、3年たつと定住者になります。では、緊急避難措置は何回更新したら定住者になるのか、と問い合わせをしたら、『考えていません』という回答が返ってきました。要するに一時的な措置としてしか考えていない。最悪の場合、打ち切りもあるわけです。帰国させるか第三国に行かせるか。国軍が牛耳るミャンマーの状況が変わるかと言えば、どう考えても早急に変わるはずがない」