軍事政権が実質的に支配している限り、我々は何ももらうことはできない」
果たして日本政府が拠出する26億円は何に使われるのか。そもそも17年の11月16日、ミャンマー政府に対して迫害をやめるよう求める国連決議を日本は棄権している。朝日新聞によれば、135カ国が賛成したこの人道的な勧告を無視した後、河野外相は「まず避難民に戻ってもらうことが先決」と述べているが、これは順序が逆である。
重要なのは何に使用されるのか分からないカネよりも難民の安全の担保である。ミャンマー政府がロヒンギャに対する抜本的な解決に取り組もうとせず、形ばかりの帰還を進めて国際的な批判をかわそうとしているのは明らかで、その証拠に虐殺やレイプや焼き討ちに対する検証作業はまったく進んでいない。70万人がなぜ逃げなくてはならなかったのか。その国家犯罪の真相の究明をしないままでは、いざ帰国しても軍や警察に襲撃されないという保証はどこにも無い。これでは子どもたちも怖くて帰れない。難民たちはミャンマー軍の残虐さが骨身に沁みて分かっているから、帰還が始まったとしても実現するまで長丁場になることを想定して学校を作ったのだ。
にもかかわらず、河野外相は17年11月にバングラデシュの難民キャンプ、18年1月にラカイン州を視察した後でさえ、帰還事業について「ミャンマー政府の努力をしっかり寄り添って支えていく」と述べるにとどまった。難民の声をまったく聞かなかったのか。背景と現実を見据えることが微塵もできていない。迫害の主語であるミャンマー政府に寄り添うとは何事であろうか。
ミャンマー語を学び、ミャンマー国歌を歌う子どもらが待ち焦がれる真の帰還はミャンマー国籍付与とのセットでなければならない。
川から遥かにマウンドーを望む
キャンプを訪問した翌日、アウンティンのアイデアでセント・マーティン島へのクルーズに出かけた。『地球の歩き方』でもお馴染みのバングラデシュ最南端のリゾート島になぜ行くのか。この定期観光船はミャンマー国境沿いのナフ川を通るのだ。現在、ラカイン州のマウンドー地区には、ジャーナリストも国連関係者も入ることが困難であるが(だからこそ河野外相の訪問は貴重だったのであるが)、観光船によって川側から、攻撃の酷かったマウンドーが観察できるのだ。テクナフの港を出航してからほぼ一時間が経過した頃、広い川幅の中ほどから、遠目にマウンドーの岸が見える。
監視しているミャンマー軍と警察の施設が視界に入った。水面にはミャンマー海軍の軍艦も威容を現す。しかし、この落差は何だろう。凄惨(せいさん)な民族浄化の現場を左方に臨みながら粛々と進む観光船。この航路こそ、悲劇の跡でもある。17年10月にはナフ川からロヒンギャの水死体が23体揚がった。迫害行為から逃れようと小船に乗ったが、転覆したためである。セント・マーティン島にも約2000人の難民が逃げ込んだが、難民キャンプに収容された。
アウンティンが言った。「燃やされているよ。あそこは私のお母さんの住んでいるところ」
アウンティンは国外に逃れて以来、母親には会っていない。その住居をこのようなかたちで見つけるとは、胸中を察するに余りある。
ロヒンギャに冷淡な日本
一方、日本では18年1月23日、茨城県牛久市の東日本入国管理センターで留置されている、ロヒンギャ青年のアウンアウンに対する仮放免申請が不許可になった。連載第2回でわずかに触れたが、17年11月21日に許可申請を出していたものである。文面は以下。「申請の理由を総合的に判断した結果、これを認めるに足りる理由がなく、不許可と決定したので、通知します」
すでに1年近くの勾留が続き、さらに内臓を病んでいるので治療を要するという医師の診断書もある。それでも「総合的に判断」という曖昧な言葉ひとつで却下されてしまう。
迫害を逃れてきた難民に対する処遇がまるで犯罪者へのそれである。26億円の支援よりも先に改めるべき制度がここにある。
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セパタクロー
「セパ」はマレー語で「蹴る」、「タクロー」はタイ語で「籐製のボール」の意味。ネットを挟んでボールを蹴りあう、手を使わないバレーボールのようなスポーツのこと。