ミャンマーでも教師をしていた。
虐殺を目の当たりにした子どもたち
その子どもたちの様子を訊いた。小さな彼ら、彼女らが落ち着きを取り戻すまでにはかなりの時間を要した。「集団で逃げてきたとき、バングラデシュの国境にたどり着くと幼い子は火がついたように泣き出した。バングラデシュの軍人の姿が見えたからです。迷彩服の男は自分たちを殺しにくる悪い大人、という感覚が刷りこまれていた。今もこのクトゥパロンをバングラデシュの軍隊が守っていますが、やはり軍服を見るとものすごく怯える。最近、ようやく怖くないのだと思えるようになってきたようです」
国連児童基金(ユニセフ)が難民の子どもたちのために、自由に遊べる場所としてキャンプ内にクレヨンで絵を描かせるスペースを設けたところ、ヘリコプターの空爆によって燃える家、発砲する兵隊、木に吊るされて拷問される人、遺体などを描く子どもたちがいたという。目の当たりにした現実が強烈なトラウマになっている証左であろう。子どもが忌まわしい体験の呪縛から虐殺の絵を描くというのは決して珍しいことではなく、カンボジアのポル・ポト兵による虐殺、関東大震災における朝鮮人虐殺の後にも同様の例がある。前者は柳原和子の『カンボジアの24色のクレヨン』(1986年、晶文社)、後者は加藤直樹の『九月、東京の路上で』(2014年、ころから)において詳しく記されている。
それにしても、自国の軍隊に襲われ、隣国の軍隊に守られるというこの矛盾に満ちた現状を大人たちはどうロヒンギャの子どもに説明するのか。
いつか必ずミャンマーに戻る
授業を覗くと、ミャンマー語の時間であった。ミャンマー語をなぜ教えるのか。この問いに対する答えは明快である。教師も生徒も口を揃える。「元々、ラカインでもミャンマー語を学んでいた。そしてミャンマーにいつか必ず戻るため」
この中で両親のいない子は? と言うとパラパラと10人近い手が挙がる。親戚や友人の家に引き取られて、そこから学校に通っていると言う。
教師が授業の最後に何事かを叫んだ。すると子どもたちは突然、声を揃えて歌い出した。ミャンマー国歌の合唱であった。アウンティンが言った。「ミャンマーの軍事政権とNLD(国民民主連盟)政権は、ロヒンギャは(違法移民だから)国歌を知らないと言っている。それもウソだよ。私たちはミャンマーを愛している。だからこそ、こんな小さな子どもらでも誰もが国歌を歌えるのだよ」
筆者は多くの難民を取材してきたが、自分たちの民族を否定して無国籍にし、追い出した国の象徴を、微塵のルサンチマンも持たずにこれほど愛しているという例を他に知らない。
一人の少年が自分の過去と将来について語ってくれた。12歳のエブラヒム。彼もまたマウンドーから逃げてきた。「住んでいた家に火をつけられました。燃やされてすごく怖かった。何の荷物も持たずにお父さんとお母さんと海に逃げました。そこで小さなボートに乗りました。そこからはずっと海の上でご飯は食べられなかったし、水も無かった。潮水を飲んだだけでした。バングラデシュに着いても淋しかったけど、学校ができてすごく嬉しかった。勉強が一番大事。大きくなったら国のためにがんばります」
その国と言うのは? と問うと、当然という顔をして即答した。「ミャンマーです」
ミャンマーで何になりたいの? 返ってきた答えに震えた。「軍隊の偉い人になりたい。ミャンマーに戻ってミャンマー軍のために働いて、ロヒンギャへの攻撃をやめさせるのです」
このマインドはいったい何なのだろう。将来の夢は、自分たちを殺しにきた軍隊に報復するのではなく、そこに入隊した上で虐殺をやめさせるのだと言う。
帰還合意の欺瞞
ロヒンギャの大人は何を考えているのか。クトゥパロンの長老とも言える人物がいた。シャカマという75歳の男性。シャカマの兄はかつてラカイン州でアウンサンスーチーの所属政党であるNLDの議員をしていた。今、いったいNLDはロヒンギャの迫害を前に何をしているのか。
シャカマは淡々と言う。「ラカインのNLDは何もしていない。ロヒンギャの居住地の周囲は軍と警察ばかりで外に出られない。NLDも、酷い弾圧を目の当たりにして問題があることは理解しているが、彼らも軍の前では無力である」
ミャンマー軍を襲ったとされるロヒンギャの武装組織「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」については、どう思っているのか。「山の中にはそんなことをする人もいるかもしれないが、私たちは無関係だ。ARSAは許せない。私は弾圧が始まる前は政府側の人間だった。私たちを避難民にしたのは彼らの暴発だ。ロヒンギャ難民がARSAを支持しているとは思われたくない」
ミャンマー、バングラデシュの両国政府が合意して進めるという帰還と再定住については全く否定的だった。
「言うまでもない。帰りたい気持ちは誰もが持っている。しかし、この帰還のやり方では意味が無い。帰れたとしても、我々は無国籍のままで外国人登録をされるのだ。ミャンマー政府には何度も騙されてきた。相変わらず、ラカイン州の外へ行く移動の自由も、就労の自由も無い。そこに戻って殺されたらどうするのだ」
河野外相がミャンマー政府に寄り添うと言って2300万ドル(約26億円)の援助を約束した帰還事業の実体は欺瞞(ぎまん)に満ちている。
国境を越えて帰国をしても外国人滞在の住民登録がされるだけで、ミャンマー国籍は与えられないのだ。これでは何の解決にもならない。国籍が無い限り、ミャンマー政府はいつでもロヒンギャを合法的に追い出すことができる。キャンプの中では、帰還反対のデモも起こっている。
「日本の援助はありがたいが、そのお金がいったい何に使われるのか……。
セパタクロー
「セパ」はマレー語で「蹴る」、「タクロー」はタイ語で「籐製のボール」の意味。ネットを挟んでボールを蹴りあう、手を使わないバレーボールのようなスポーツのこと。