視聴率に追われるあまりに政治的公平性が損なわれ、さらには政治家である出演者の政策に異論が一切挟まれず、ただ肯定的に流される結果になったきらいがある、と指摘。
それでも審議入りをしなかったのは、委員会が意見書を公表すれば「放送局が政治問題を伝えるにあたって質的公平性を追求する際の足かせになるおそれがあることを懸念した」からだという。BPO自らが権威、権力であることを自覚し、まさに表現の自由を脅かさないように引いたということである。談話を出したのは、「審議入りしないという結論だけが独り歩きし、本番組に垣間見えた問題点が放送界に共有されないこと」を危惧したからであると結んでいる。サッカーで言えば、「今回だけは大目に見るが、次は一発レッドカードで退場」とレフェリーに言われたに等しい。
斉加はテレビ報道の現在を7月の参議院選挙前にこう語っていた。
「うち(MBS)だけでなく、有権者の関心に応えるような選挙報道は各局ともに驚くほどに減っています。具体的に言えば、昨年は(10月に行われた)総選挙に関して、投票日の夜の開票特番以外は報道がものすごく少なかったと思います。かわりに大量に電波にのったのが、(9月に行われた)自民党の総裁選でした」
総裁選はワイドショーで取り上げやすく、誰が勝つかを予想するような番組もつくりやすい。公職選挙法が適用されないからだ。視聴率が見込めるタレントをゲストに呼んで、好きにしゃべらせることもできる。
「まるでお祭りみたいでしたね。あの総裁選報道と『ほっとけない人』問題は、地続きだと思うのです」(斉加)
「報道のバラエティー化」の副作用
斉加は、テレビにエンターテインメントとしての情報番組が必要であることは頷首(がんしゅ)する。バラエティー番組そのものにもリスペクトも払っている。しかし、報道にバラエティーの要素が入り込み、すでに夕方のニュースの時間帯の編集権が制作出身者のものになってしまっている状況には危機感を感じている。「ニュースとエンタメでは伝える姿勢がまったく違います。そしてニュースの編集権が視聴率を重視する制作総合プロデユーサーの傘下になれば、あらゆるものから担保されなくてはならない報道の独自性が損なわれてしまう」
報道とバラエティーの境界があいまいになる発端は2020年の秋にさかのぼる。社内で、報道局が制作局の一部に組み込まれるという話が持ち上がった。報道局員は反発したが流れは止められず、翌年4月に組織改編が行われ、報道局は制作局の一部と統合されて報道情報局となった。それに伴い、夕方に放送されていたワイド番組『ミント!』にかわり、新番組『よんチャンTV』が始まった。
改編時に報道主幹だった澤田(映画『教育と愛国』プロデューサー)は、新番組の初日の放送を見て、「取材記者のアイデンティティーが否定された」と感想を抱いた。
『よんちゃんTV』にはニュースゾーンにお笑い芸人枠がある。記者が取材してきたニュース映像が流れているあいだ、それを見ている芸人やタレントの顔がワイプ(画面上の小窓)で映されている。映像が終わると、彼らがコメントを述べる。その分野の専門家ではない人物の「コメント」の副作用は、笑いに回収したりすることによって、ニュースの価値を相対化してしまうことでもある。澤田は、ニュース映像のあいだ、ずっとBGMが流れていることも気になった。現場の音が台無しになる。
「事件の起きている現場じゃなくて、スタジオがメイン。視聴率から入る作法や。そもそも何時のニュースという定時制が無くなってしまった。そして情報ゾーンやなくてニュースゾーンにまで芸人さんを出すのは無理があるのではないか」と局の会議で主張した。
斉加は、組織改編から約1カ月が経過したころ、報道情報局の全局員に向けて、摩擦が起こることを覚悟で一斉メールを送った。
〈理念なきものは、報道とは言いません。エンターテインメントも放送を支える柱であり、情報番組も必要です。ただ、情報の「中継点」になるだけのニュース、中でも政治家の言葉を流しっぱなしにするのは、報道とは言えません。あえて大胆に言いますが、情報番組のお手伝いに甘んじるのも、記者の仕事とは言えないと思います〉
〈記者は常に、政治や社会に向き合う姿勢が問われます。事件や事故を追うのも、そのためです。「よりよい社会をつくる」「差別や偏見のない、人間の尊厳を尊ぶ社会を目指す」。何を青臭いことを、と冷笑する人もいるでしょう。ですが、理想を掲げない学校は、学校と言えないように、ひたすら数字を追う姿勢の“情報”は、報道ではありません〉
〈いま社会全体が、世界中がまさしく民主主義の危機です。報道の役割がいっそう求められる激動の時代です。テレビ報道がどのような役割を果たしうるかによって、未来に待ち受ける、社会は変わる、私はそう信じています〉
メディア経営と報道
かつて「報道のMBS」は、すぐれたバラエティーの作り手でもあった。1980年代後半、MBSの16時台といえば、鬼才・田中文夫ディレクターが無名時代のダウンタウンを抜擢したバラエティー番組『4時ですよーだ』が放送されていた。若き日の松本人志と浜田雅功が大喜利やコントで躍動したあとは、全国ネットニュースを挟み、『MBSナウ』が独自取材によるニュースを展開。『朝鮮戦争に参戦した日本』(三一書房、2019年)の著者である西村秀樹が記者時代にすっぱ抜いた豊田商事事件、山口鶴男社会党書記長(当時)が大津で右翼に襲われる瞬間などのスクープ映像が放送され、制作と報道の区分けがされてメリハリが効いていた。田中は制作のプロとして、お笑いとニュース、この境界線を安易に崩すことを嫌った。松本人志が著書『遺書』(朝日新聞社、1994年)で「いつまでも笑い一本で勝負していきたいものである」と言い切っていながら、その節を曲げるかのように政治バラエティーに出演し、共謀罪に賛成して「多少の冤罪は仕方ない」と発言した際、田中は雑誌上で愛情をもって叱っている。
〈それが、それが、今は何がどうなっているのですか?『ワイドナショー』って何ですかそれ。「コメンテーター」って何のつもりですか。いったい何事が起こったのですか。(引用者補足:笑いの)天才のやることとはどうしても思えないのです。(中略)/そしてテロ防止のためには「多少の冤罪はしょうがない」発言です。/うーそーだーろーー!〉(「前略 松本人志様」、2017年7月21日号「週刊金曜日」)
MBS制作の雄であった田中もまた、報道へのリスペクトを忘れていない。これがMBSのDNAであったとするならば、現在はどうなのか。