ドキュメンタリー映画、異例の大反響
5月21日、大分市府内町にある映画館「シネマ5」の田井肇(たい・はじめ)は「入っても6割か7割方かな」と予想していた。1989年の開館以来、地域に根差して上映活動を続けてきた支配人は、集客の読みをほとんど外したことがない。ところが『教育と愛国』(公式サイト)ばかりは外れた。上映15分前には74名の定員が一杯になった。田井には観客数についての持論がある。「大分の1人は東京の50人」。人口比、商圏エリアを考え、実績から導き出した比率である。すでに同作は東京、大阪、京都でヒットはしていたが、地方興行の最初の地である大分はどうなるのか。蓋を開けてみれば、ここ数年なかった満席であった。
やがて、終映後、万雷の拍手を浴びた斉加尚代(さいか・ひさよ)監督と澤田隆三(さわだ・りゅうぞう)プロデューサーが登壇してのティーチ・インに移行した。ここでも田井の驚きは続いた。熱を帯びた観客からの質問は予定時間を超えても終わる気配がない。
「放っておいたら、4時間は続いたと思いますね。僕の大嫌いな映画称賛の予定調和や、気の利いたことを言おうという空気じゃなくて、分からないことを分からないとぶつけて議論できる雰囲気だった。このタイトルでこのポスター、中身もド直球のドキュメンタリー。こういう作品にお客さんが入ってくれると、映画上映を生業にしていく上で本当に心強い。これは地方でも絶対受け入れられますよ」(田井)
映画の直前に発売された斉加監督の書籍『何が記者を殺すのか』(集英社新書、2022年)サイン会では、斉加に向かって「この映画を作って下さってありがとう」という声が相次いだ。聞けば、現役の教師や教育委員会にいる人だという。教育に政治が介入し出した現場で、長きに渡って苦しんできた人々であった。
33年間、劇場を運営してきた田井の経験からしても大きな手ごたえを感じさせた量(来場者数)と質(反応)は、予想通り、この大分を皮切りに仙台、福島、沖縄、福岡、別府、それぞれの劇場でヒットを続け、名古屋、千葉、横浜、神戸、広島、岡山、札幌等々、各地方都市でも満席を記録している。
映画にはケレンもカタルシスもない。しかし、事実と証言を積み重ね、点を線にする。そして、本来、あらゆるイデオロギーから独立していなくてはならない教育と学問の現場に、時の政権が介入していくグロテスクな過程を可視化している。20年以上、MBS(毎日放送)の記者として大阪の教育行政を注視してきた斉加ならではの定点観測の結実である。
2011年に大阪府では、府立学校の行事において、教職員に国歌斉唱時に起立斉唱することが義務付けられ、翌年の卒業式で、とある校長が教職員の口元を監視して確認し、教育委員会に報告するという「口元チェック」問題が起こった。斉加はこの問題について、2012年に橋下徹大阪市長(当時)と記者会見で「バトル」を展開した記者として知られている。
斉加は一記者の意見ではなく、事前に口元チェックについて各府立高校校長にアンケートを取ったうえで、「一律に歌わせること」の是非を囲み取材で突き付けたが、橋下は質問に答えず、「(起立斉唱命令を出したのは)教育委員会だ」「ふざけた取材」「勉強不足」と、論点をそらして高圧的な罵倒に終始した。実際には、「教育委員会にルール化するように命じたのは橋下市長である」ことを教育長も証言しており、この罵倒はその場しのぎの詭弁である。
映画を制作する上で、斉加を紹介するカットとしてそのシーンを挿入すべきではないか、あるいは自身でナレーションを読んだらどうかという関係者からの提案があった。宣伝の上でも当然、「あの斉加記者の作品」ということで話題になる。しかし、斉加はそれら一切を丁寧に却下していた。
「大切なのは、誰と誰が勇ましく闘っているかではなく、学問の持つ普遍的な価値が時の権力者によって支配される危険水域に入っていると知らせること。私のバトルが出ることで問題を矮小化させたくなかった」(斉加)
そのストイックな編集方針は奏功し、「見ると鳥肌が立つ政治ホラー」と言われる作品に仕上がった。サンプル試写を見た漫画『ベルサイユのばら』の作者である池田理代子(漫画家/声楽家)はこうコメントを寄せて称賛している。