このままあと10年もしたら、在日同胞がここでどんな苦労をしたのか、韓国では誰も知らなくなるだろう。それを痛感してから、李哲の歴史を伝えるための活動が始まった。
クリスチャンである李哲は、まず民主化のリーダーであった咸世雄(ハム・セウン)神父に会い、西大門刑務所歴史館の敷地に在日政治犯を記念する碑石を建てたいと相談した。咸神父は協力を快諾し、文錫珍西大門区長を紹介してくれた。
区長は「敷地に碑石を建てるには、文化財庁の特別な許可が必要になるので難しい」と言いながらも、旧獄舎の建物は西大門区の管理下にあるので、そこになら、自分の権限で在日政治犯の展示室を作ることはできる、と、より積極的な提案をしてくれた。そちらのほうがずっといい。区長はすぐさま、旧獄舎を管理している歴史館の館長や幹部を数人呼んで、その場で話を決めてくれた。李哲には一つ、ぜひ確認したいことがあった。
「区長さん、これは一回だけの展示ではないですよね?」
区長は即答した。「いえ、これは常設です」
願ってもないことだった。
こうして、16年に西大門刑務所歴史館に在日政治犯の展示室が新たに作られ、そこには李哲たちの救援を呼びかけるビラや、刑務所に差し入れられた本、面会に訪れる日本人が当時学んだ韓国語のガイド本などが陳列されている。
憎悪に囚われないことを選んだ李哲の“復讐”とは?
私は最後に聞きたいことがあった。まったく身に覚えのない捏造による容疑で逮捕され、拷問にかけられ、ソウル拘置所に収監され、減刑後もさらに5回も各地の矯導所を引き回され、地獄のような苦しみを味わわされたにもかかわらず、李哲からは、いついかなるときも、憎悪や報復感情が一切発せられない。
在日韓国良心囚同友会は、近年になって在日政治犯たちの再審請求を行い、何人もが無罪を勝ち取っているが、李哲は14年の再審で、無罪は不要だと毅然と言い放った。
「私ももう70歳近い白髪の老人になり、いつあの世に行って、亡くなった両親と会うことになるかも分からない。そんな私にいまさら無罪の判決など要らないし、下さなくてもいい。ただひとつ願うことは、私があの世で安心して両親に会えるように、53~54歳の非命で亡くなった両親の魂を安心させて欲しい。願いはそれだけです」
李哲の強さは、宗教者としての強さなのだろうか。
李哲は言った。
「神は克服できる試練しか人に与えないというのならば、この試練は克服できるものだと思うことができました。誰もがこんなことを経験できるものではない。そして、それは憎悪や復讐心に囚われないことにもつながります。おこがましい言い方ですが、僕らが試練を克服して、立派に成長することが、彼らに対する“復讐”になると思っています。私は唯一、その意味でだけ、“復讐”という言葉を使うんです。軍事独裁政権の人間たちに、李哲を捕まえて刑務所に入れたことは間違いだった、なぜなら、こんな人間に生まれ変わって帰ってきてしまった、と思わせる。それが私の彼らに対する“復讐”なんです」
韓国の「歴史を認め、振り返り、赦す勇気」こそが、現在の東アジアの平和構築を牽引する力になっている。翻って日本の「歴史修正」は底が抜けていると言えまいか。
私は李哲と、この西大門刑務所歴史館を訪れるツアーを計画しようとしている。
光復節
日本の降伏によって、日本による支配から解放されたことを記念する韓国の祝日。
人民革命党再建委員会事件
朴正煕政権下における「司法による殺人」とも言われる事件。国家転覆を図ったとして、74年に人民革命党再建委員会の関係者20人以上が反共法違反などの容疑で逮捕され、このうち8人に対し、75年に死刑が確定・執行された。後に再審が行われ、2015年に無罪が確定した。
文益煥
韓国の国民的詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)の親友であり、民主化の先頭に立って闘ったリーダー。