李哲もそのために新品の下着を一組だけは使わずに残していた。しかしこれでは同房の人たちに挨拶するのが精いっぱいであった。
ソウル拘置所には、大阪から留学にきて、同様に逮捕されて死刑判決を受けた康宗憲(カン・ジョンホン)という2歳年下の後輩がいた。自分の死刑が執行されたら、必ず宗憲も続いて処刑される。
房を出て中央通路を歩かされるとき、宗憲のいる雑居房を覗くと、何も知らずに寝込んでいた。李哲は扉を思いっきり蹴った。驚いて跳ね起きた宗憲は叫んだ。
「兄さん、どこへ行くんですか」「俺もわからん、来いと言うから行くだけだが、次はお前の番だから準備して待っておけ」
自分には叶わなかったが、せめて宗憲には身なりを整え、心の準備をする時間をこしらえてやりたかった。
死刑場に至る通路はYの字になっていて、左に曲がれば刑場である。ところが看守は右に行った。死刑を前に抵抗されないよう、油断させておいて、この先から引き返すのか。まどろっこしいことをするものだと思った。しかし一向に戻る気配がない。李哲はたまりかねて尋ねた。
「こんなに朝早く、私をどこに連れていくんですか」
返事は意外だった。
「今日は8月15日、光復節じゃないか、こんな祝日に、朝早く呼ばれるのはいいことだぞ」
そのまま所長室に連れていかれ、死刑から無期懲役に減刑されたことを告げられた。自分だけが減刑されたことで心苦しさを感じたが、他の在日死刑囚たちは心から喜んでくれた。
死刑からは逃れたといっても、服役が終わるわけではない。李哲はソウル拘置所の後も、大田(テジョン)矯導所(刑務所)を皮切りに、5回も各地の矯導所を引き回された。これは政治犯の中でも最多であり、その間、たくさんの民主化の闘士たちと出会った。特に大田矯導所の第六舎で知り合った、思想転向を拒否し続ける長期囚の方々には大きな影響を受けた。凄惨な拷問によって転向を迫れられながらもそれを拒み、ひたすら祖国統一の大義に殉じようとした生き様から受けた感銘によって、李哲は後年、同様に大田に収監されていた作家キム・ハギが非転向囚を描いた小説『完全なる再会』(93年、影書房)の日本語訳を行うに至る。
李哲は闘争を続け、韓国が87年に民主化した後、88年10月に仮釈放されて安東矯導所から出所する。そして、自身の刑期を終えていた婚約者、閔香淑と結婚した。閔香淑は人から「13年間、よく李哲さんを待ちましたね」と言われるとこう返した。
「いえ、私は待ったのではなく、13年間かけて李哲を釈放させたのです」
閔香淑は民主化運動組織の主要メンバーとして、李哲の無実を訴える活動をし、それが実を結んだのである。
30年が過ぎて…
仮釈放から、30年が経った。現在は大阪で暮らす李哲に、今年の西大門独立民主の祭典の様子を聞いた。
「まず刑務所歴史館に集まって民主化に向けて闘った人たちの展示室に行くんです。今年は新しく、文益煥(ムン・イクファン)牧師の展示室ができていました。夕方には歓迎の食事会、夜には独立民主祭典の公演を観るというスケジュールでした。公演では有名な歌手やアーティストが歌やダンスを披露するんです」
連載第6回で紹介した「済州4・3抗争70周年光化門国民文化祭」で、俳優のチョン・ウソンが自ら旗振り役を買って出たように、韓国では芸能人たちがデモクラシーの動きを傍観せず、積極的に関わってくる。
「一般市民の方々と一緒に舞台を観ていたんですが、司会の人から突然、『日本から在日政治犯の李哲さんご夫妻が見えています、どうぞ』と呼び出されたんです。そうしたら立ち上がって挨拶するしかないじゃないですか(笑)。事前に聞かされていなかったので慌てました」
刑務所歴史館には李哲が、「獄中にいる良心囚の釈放」と「韓国民主化運動との連帯」を目的として在日の政治犯たちとともに結成した「在日韓国良心囚同友会」の展示室がある。2016年にこの展示室が作られてからは、祭典の祝賀会の宴席で、同友会の代表として李哲が挨拶をしている。この展示室を作るきっかけにも李哲が関わっていた。
在日政治犯のことを伝え残したい
時計の針を数年ほど前に巻き戻す。所用でソウルへ来ていた李哲は西大門刑務所跡が歴史館になったと聞いて、足を向けた。複雑な郷愁を持って現地に着くと、ちょうど小学生のグループが見学に来ていた。30歳ほどの女性の専門ガイドが、説明をしている。それは日本帝国主義時代に監獄ができたいきさつから始まり、時系列で歴史を紡ぐ。李哲も興味深く思い、子どもたちの後ろをずっとついて回った。そのうちにふと気がついた。古くは日帝(大日本帝国)からの独立の志士たち、独立後は韓国独裁政権と闘った全国民主青年学生総連盟(民青学連)、南朝鮮民族解放戦線(南民戦)、人民革命党(人革党)といった高名な民主化運動組織についてはガイドから語られるものの、在日の政治犯の話がいっこうに出てこない。そこで、案内が終わると、小学生の集団に向かって後方から声をかけた。
「実はね、おじさんも大学生のときに捕まって、死刑判決を受けて13年も刑務所の中にいたんだ。40年前、ここには何の罪もない在日同胞も多く捕らえられてすごく苦労をしたんだよ」
子どもたちはもちろんのこと、ガイドもまた息を飲んで驚いた。一般市民はともかく、歴史の専門性を問われるガイドでさえ、在日コリアンが100人近くこの刑務所に収容されていたという事実を知らずにいた。祖国の民主化に命を捧げた在日の存在がなかったことにされている。
光復節
日本の降伏によって、日本による支配から解放されたことを記念する韓国の祝日。
人民革命党再建委員会事件
朴正煕政権下における「司法による殺人」とも言われる事件。国家転覆を図ったとして、74年に人民革命党再建委員会の関係者20人以上が反共法違反などの容疑で逮捕され、このうち8人に対し、75年に死刑が確定・執行された。後に再審が行われ、2015年に無罪が確定した。
文益煥
韓国の国民的詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)の親友であり、民主化の先頭に立って闘ったリーダー。