気象庁は毎年、各地の「梅雨入り」と「梅雨明け」の時期を、気象上の様々なデータを総合的に判断して発表している。景気にも同じような発表がある。「景気基準日付」だ。
好景気と不景気が交互に現れる景気循環には、景気が底を打って回復して行く転換点(いわゆる「谷」)と、好景気が終わりを告げて不景気へと落ち込み始める転換点(いわゆる「山」)がある。こうした景気の転換点が「景気基準日付」であり、「谷」から「山」へ向かっている間が景気拡大局面、反対に「山」から「谷」までが景気後退局面となる。お天気に置き換えれば、「山」が不景気という「梅雨入り」、「谷」が好景気へと向かう「梅雨明け」というわけだ。
景気の「谷」と「山」という景気基準日付を決定するのは、景気動向指数研究会だ。内閣府の組織で、大学教授や民間のエコノミストなど、経済の専門家7人で構成され、景気動向指数を始めとした経済指標を詳細に分析、景気の転換点を決定している。
景気基準日付が決定されるまでには、かなりの時間がかかる。景気の動きは微妙であり、回復したと思ってもすぐに失速してしまったり、反対に景気が悪化したと思っても持ち直したりする「だまし」がある場合も少なくない。
こうしたことから、景気動向指数研究会は判断に長い時間をかけていて、通常は実際の転換点を迎えてから1年以上経った後に発表されることが多い。2002年1月の景気の「谷」の場合、それが確定されたのは04年11月と、2年10カ月も後のことだった。
景気基準日付が確定すると、それによって決まる景気拡大期間や景気後退期間に名前が付けられることが多い。景気拡大期間では、「岩戸景気」(1958年7月からの42カ月間)、戦後最長とされてきた「いざなぎ景気」(65年11月からの57カ月間)、さらには記憶に新しい「バブル景気」(86年12月からの51カ月間)などが広く知られている。
一方、景気後退期間では、バブル崩壊に伴う「第1次平成不況」(91年2月からの32カ月間)、「第2次平成不況」(97年5月からの20カ月間)などの名前がつけられている。
2002年1月の「谷」から景気拡大局面に入った日本経済は、06年11月には「いざなぎ景気」を超えて戦後最長の景気回復となったとされている。しかし、その実感がない。実は02年以降の景気拡大局面は、期間こそ長期だが、07年12月までの経済成長率の平均は2.1%。「いざなぎ景気」の11.5%、「バブル景気」の5.4%などとは比べものにならないほど低かったのだ。バブル崩壊に伴う長く厳しい景気後退局面という「梅雨」を抜け出したものの、晴れ間が少なくパッとしない「冷たい夏」がやってきただけだったのである。
そして、08年に入ると経済指標が軒並み悪化、経済成長率もマイナスとなった。エコノミストの多くは、2007年12月が今回の景気拡大の「山」としているが、景気動向指数研究会は、それを示す景気基準日付をまだ発表していない。しかし、「梅雨入り宣言」がなくても、日本が景気後退局面に入ったことは誰の眼にも明らかだ。しかも、今回は通常の景気循環に世界的な金融危機が加わったことで「100年に1度」と言われる深刻なものになる危険性がある。
梅雨どころか巨大な台風、場合によっては氷河期に入り込む未曽有の危機に、日本経済は直面しているのである。