「ミシシッピには金鉱がある!」この噂に人々は熱狂した。ルイ15世の時代、フランスはアメリカ・ミシシッピ川流域を中心としたルイジアナを植民地としていたが、当時は資源も産業も乏しい荒れ野。ミシシッピ会社はその独占開発権を持つ国営企業だが、実態のないペーパーカンパニーだった。ところが政府が、金鉱を掘り当てたなどと宣伝して、この会社の株式の販売を始めたところ大人気となり、株価が急上昇する。株式や不動産などの価格が、実態から乖離(かいり)した水準に跳ね上がるバブルの発生だ。
1720年に起こった「ミシシッピバブル」は、チューリップの球根が高値を呼んだオランダの「チューリップバブル」、イギリス政府が売り出した南海会社の株価が暴騰した「南海泡沫事件」と並ぶ世界三大バブルの一つだが、その規模と経済に与えた影響は桁違いに大きかった。
ミシシッピバブルの首謀者はジョン・ロー、時の財務総監であり、「バンクロワイアル」という事実上の中央銀行の創設者でもあった。ローはイギリス人で、女性を巡っての決闘で相手を刺殺し死刑判決を受けるが、刑務所から脱走してフランスに流れ着いた「お尋ね者」。ところがローは、自らの「経済政策」を政府に売り込んで気に入られ、強大な権力を手中にする。
ローは、膨大な借金を国債発行で賄っていた政府の救済策として、ミシシッピ会社の株式売却を行った。ローは販売促進のために、購入代金を国債で支払えるようにした。これは債務と株式を交換する「債務の株式化」(Debt Equity Swap)という現代でも最先端の手法だが、その発明者がローだったのだ。当時の国債は信用力が無く、額面を大きく割り込んでいた。しかし、株式購入時には額面価格で使用できるとしたため購入希望者が殺到し、ミシシッピ会社の株価は暴騰した。これによって大金持ちが続出、彼らを示す「ミリオネア」という言葉が誕生したのもこの時だった。株価上昇に伴って、紙幣も大量発行され、これがさらに株価を押し上げるスパイラルが起こる。額面500リーブルのミシシッピ会社の株式は瞬く間に1万リーブルを突破、これによって、国債残高も激減して政府は歓喜した。
もちろん、こうした状況が続くはずはない。「金は見つかったの?」「そもそも何の会社なんだっけ?」という素朴な疑問からミシシッピ会社の正体が判明すると株価は一転して暴落し、経済は大混乱に陥る。一文無しになった人々の怒号の中、ローは国外へ逃亡したのだった。
こうした過ちはその後も繰り返されてきた。ミシシッピ会社をNTTに置き換えれば、ミシシッピバブルが、1980年代後半の日本のバブルと同じであることが分かる。当時の日本銀行は、円高不況対策として貨幣供給量を急拡大、これが株式や不動産などになだれ込みバブルを生んだ。当時の大蔵大臣や日本銀行総裁がミシシッピバブルの教訓に学んでいたら、バブルとその崩壊による不況も起こらなかっただろう。政策責任者がジョン・ローのように責任を問われてこなかったことも手伝って、同じことが世界中で繰り返されてきたのだ。
日銀の「異次元の金融緩和」がバブルを生み出すとの指摘もあるが、耳を傾ける人は少数だ。しかし、都心の不動産価格の上昇が顕著になるなど、バブルの兆しが見えてきている。残念な歴史を繰り返さないためにも、ミシシッピバブルの教訓に改めて学ぶべきなのである