経済活動にも同じようなことが起こる。「ヒステリシス」(履歴効果)だ。経済の基盤を揺るがす大きな出来事が発生、これに対応する過程で経済構造が変化した結果、経済環境が元に戻っても経済成長率が低水準にとどまったり、失業率が高止まりしたりしてしまうことがある。これがヒステリシスで、経済的なダメージの「履歴」が、経済活動の低迷を招いてしまうのだ。
日本でヒステリシスの問題が最初に表面化したのは、1985年から始まった急激な円高によるものだった。円高で採算が悪化したために輸出が減少、これに対応するために生産拠点の国外移転が広がった。その結果、後に円安になって環境が好転しても、期待通りに輸出は増えなかった。円高に伴うヒステリシスによって、日本経済は円安でも輸出が増えない体質に変わってしまったのだ。
ヒステリシスは、様々な場面で見ることができる。景気の低迷で、長期間失業状態にある労働者が増えると、労働市場にヒステリシスが発生する。失業している間、労働者のスキルは劣化してしまうため、後に雇用情勢が好転して仕事を得られたとしても、生産性が低下してしまうことがある。
日本経済において最大かつ複合的なヒステリシスが、バブル崩壊によるものだ。バブル時代の日本経済は、お金という食べ物をおなかいっぱい食べた結果、過剰な設備投資という「肥満」や、不動産などの資産価格の高騰という「高血圧」を抱えてしまった。事態を憂慮した政府と日本銀行は、金融引き締めによってお金という食事の量を厳しく制限、バブル潰しを図るのだが、これがヒステリシスを生んだ。
金融引き締めによってバブルは崩壊し日本経済の肥満も高血圧も改善するが、今度はお金に対する食欲が失われて拒食症となり、デフレという低血圧にも陥ってしまう。慌てた政府と日本銀行は、お金という食事を潤沢に供給する金融緩和策に転換したが、日本経済は元通りにならなかった。バブル崩壊に伴うヒステリシスで、日本経済は、お金に対する食欲がわかない「小食」になった上に、リーマン・ショック(2008年)という新たなヒステリシスが加わったことで、体質が一層変化していたのである。
こうした状況にもかかわらず、政府や日銀は、お金という食事を並べれば、日本経済は飛びつくと考え、食事代である金利代をタダにする「ゼロ金利政策」や大量のお金をばらまく「量的金融緩和」を断行した。それでもお金を食べようとしないことから、「食べなければ罰金を科す!」というマイナス金利政策まで導入したものの、効果はほとんど出ていないのが現状だ。
長期間の入院で、小食になった知人は、目の前にごちそうを並べても、食べようとはしない。日本経済も同じであり、度重なるヒステリシスで体質が変わってしまった以上、経済の根本的な構造改革を行わない限り、元気を取り戻すことはできないのである。