子どもの教育方針を巡って、両親が言い争いをしている。あまり干渉せず、子どもの自主性を尊重するべきだという「自由放任主義」の父親に対して、母親の姿勢は「教育ママ」。大人になってから後悔しないよう、少々嫌がっても親が勉強をさせ、一流大学、一流企業への道を歩ませるべきだというのだ。
教育ママvs.自由放任パパ。同じような議論が、経済政策においても展開されてきた。政府が「親」、国民は「子ども」で、政府は経済成長率を中心とした「成績」を上げようとする。その教育方針である経済政策で、「教育ママ」の立場に立っているのが「ケインジアン」と呼ばれる人々だ。イギリスの経済学者、J.M.ケインズが提唱した経済学を基本としていることから、こうした呼び名が広まった。
ケインズは、政府が積極的な経済政策を展開し、国民を引っ張って行くべきだと主張した。景気が悪くなったら、政府が公共事業を増やしたり、減税や金利を引き下げたりといった、様々な景気刺激策を打ち出す必要があるとしたのだ。国民の経済活動に、政府が事細かく、直接的に介入しなければ、安定した経済活動は生まれないというのが、ケインジアンの考え方なのだ。
ケインジアンの立場に立った経済政策は、結果的に「大きな政府」につながっていく。景気刺激策としての公共事業の増加は、それだけ政府の仕事が増えることを意味する。また、政府が国民の生活向上に直接手を貸すことから、社会保障や教育などの予算が拡大されることにもなる。政府の関与が増えれば、当然その費用が必要になる。そこで、より多くの税金を徴収しようという動きが出てくることにもなる。
子どもを塾に通わせ、特別な習い事をさせようとする教育ママは、より多くのお金を子どもにかけることになり、負担も増加するというわけなのだ。
また、ケインジアン的な経済政策は、「規制強化」という側面も持つ。国民に自由に経済活動をさせると問題が発生するので、政府がしっかり監視・監督しようとするのだ。
ケインジアンは、国民の経済活動に対して「性悪説」の立場に立っている。したがって、子どもを自由にすると、成績が下がったり、問題を引き起こしたりすると考え、教育ママとしてあれこれ口出しをする「大きな政府」になるというわけなのだ。
こうしたケインジアンの「教育ママ」的な政策には、「自由放任パパ」の立場から強い批判が行われている。政府が景気対策のために行う公共事業は、しばしば非効率で景気回復につながらず、税金の無駄遣いとなる。政策金利を操作して経済をコントロールしようとしても、そのタイミングを誤れば、かえって景気が悪化することもある。また、政府の介入の度合いが高まると、国民に「甘え」が生まれたり、やる気をなくしたりして、経済効率が落ちる恐れもあるというのだ。
「教育ママ」も「自由放任パパ」も一長一短があり、どちらを採用するかは、その時々の政治・経済情勢に左右される。大規模な公共事業や細かな規制など、日本の自民党は伝統的にケインジアンが多く、「大きな政府」を志向する「教育ママ」だった。ところが、小泉純一郎元総理が、郵政民営化や道路特定財源の見直しなど「小さな政府」を目指し、国民の自発性を尊重する「自由放任パパ」の政策を展開して大きな成果を挙げた。
押され気味だったケインジアンだが、ここへきて格差拡大などの弊害が指摘され、勢いを取り戻しつつある。「教育ママ」と「自由放任パパ」の争いは、まだまだ続くことになるだろう。