危険度が高かったり、肉体的・精神的に厳しかったりする仕事の賃金は、安全で楽な仕事の賃金よりも高くなるはずだ。これを労働経済学では「補償賃金仮説」と呼んでいる。リスクや大きな負担を「補償」するために、賃金が上乗せされるというわけだ。
賃金は労働市場における「価格」の役割を果たしている。企業などが募集する求人が「需要」、仕事を探している労働者数が「供給」。求人が増えたり、働き手が減ったりすれば、価格である賃金は上昇するし、反対に仕事量が減ったり、仕事を求めている人が増えたりすると、賃金は低下する。
しかし、労働市場の場合には、仕事の内容も賃金に影響を与える。同じ賃金であれば、労働者はより安全で楽な仕事を選ぶ。したがって、危険できつい仕事の働き手を募集する際には、賃金の上乗せが必要となる。爆発しやすいニトログリセリンを運ぶという「恐怖」を補うため「高額な報酬」が上乗せされるように、労働の需要と供給とは別の要因が賃金に影響を与えているのだ。
一方、雇用者側がより高い報酬を支払う理由はコスト削減である。仕事の安全度を高めるためには、追加の費用が必要だが、これが利益を圧迫する。そこで、安全性を高めるのではなく、リスクを労働者に転嫁、報酬を上乗せすることで納得してもらうというわけだ。映画「恐怖の報酬」では、ニトログリセリンを運ぶのに必要な専用トラックが調達できない中、高い報酬を支払えば命知らずの男たちが集まってくるはずだと、危険を労働者に転嫁していたのである。
補償賃金仮説に基づいて、リスクの高い仕事に見合った賃金が支払われていれば、それを選ぶのは労働者の自由であり、許容できるかもしれない。しかし、「仮説」はあくまで「仮説」であり、現実にはリスクを十分に反映していないことも多い。キツイ、キタナイ、キケンのいわゆる「3K」の仕事の賃金は、補償賃金仮説が成立していれば、より高くなるはずだが、現実にはそうなっていないのがその一例だろう。
補償賃金仮説が成立していない原因の一つが、労働需要の低迷だ。労働需要が低下していることから賃金が下落、結果的にリスクに見合った補償を支払わなくても、労働者を集めることができるようになっている。景気の低迷が補償賃金仮説を「仮説」のままにしてしまっているといえるだろう。
「恐怖の報酬」を受け取ったドライバーたちが、どんな運命をたどったかは映画を見ていただくとして、そこでは補償賃金仮説が成立していたことは確かだ。しかし、今の日本ではどうなのか? 原子力発電所の廃炉作業に従事している作業員には、リスクに見合った報酬が支払われているのだろうか? 厳しい雇用環境が続く中、補償賃金仮説が「仮説」で終わることは許されないのである。