経済にも同じような病が存在する。デフレーション(デフレ)だ。モノを買ったりサービスを受けたりするといった消費意欲や、企業の設備投資などの需要が減少、これによって売り上げが低迷、物価が下落し企業の業績が悪化、景気が悪くなってしまうのだ。こうした状況を受けて、企業は給与の引き下げや人員削減などのリストラを断行、これがさらに需要を減らし、一段の物価下落と景気悪化という悪循環(デフレスパイラル)に陥ってしまうのである。
需要という「食欲」が落ち込み、どんどんやせ細って行くという病がデフレであり、それは「経済の拒食症」に他ならないのである。
こうしたデフレの症状は、同じく経済の病であるインフレーション(インフレ)とは正反対だ。インフレは需要という「食欲」が過剰となり、モノが不足して物価という「体温」が上昇する。食べ過ぎによって起こる「肥満」がインフレなのだ。したがって、デフレの処方せんは、インフレとは正反対のものとなる。
インフレの処方せんは、肥満を解消するための「ダイエット」が基本となる。需要という食欲を減らす、つまり食事制限を行うのだ。具体的な処方せんとしては、中央銀行による金利引き上げやお金の供給量の削減、政府による税率の引き上げなどによって、消費や設備投資を抑制する食事制限を行う。ダイエット同様の、つらくて我慢を強いるプログラムが並ぶわけだ。
一方、デフレは食欲が出ない状況にあることから、インフレとは逆に、「どんどん食べなさい!」という政策が実行される。具体的には、金利の引き下げや減税など、国民にとってはうれしいメニューが、ずらりと示されるのだ。
デフレが発生した当初、政府はとても楽観していた。これまでインフレという肥満とばかり闘ってきたことから、「好きなだけ食べてよい」というデフレの処方せんは、ダイエットとは比べものにならないほど楽だと考えたのだ。
ところが、それは大きな誤りであった。どんなにごちそうを並べても、日本経済の食欲(需要)は回復せず、やせ細る一方だったのだ。慌てた政府は、大規模な公共事業を実施、自らが食べて見せることで、経済全体を太らそうとした。しかし、政府がどんなに食べるところを見せても、国民の食欲は回復せず、増やした公共事業の分だけ国の借金が増える始末。打つ手がことごとく失敗、体温が下がり、生気のない青白い顔をして、動きが鈍くなって行く日本経済を、政府はなすすべもなく見つめるだけになってしまったのだ。
デフレ対策が難しいのは、需要の減少という通常ではあり得ない症状が起こるためである。人間は「おいしいものをたくさん食べたい」という欲望を持っているのが普通であり、少しでも油断すると肥満になってしまう。ところが、拒食症であるデフレは、根本的な欲求の需要が失われてしまうという異常な事態であり、さまざまな要因が複雑に絡み合って起こるのである。
カレン・カーペンターが命を落としたのは、拒食症に対する認識の不足と、処方せんの研究が不足していたためだった。デフレについても状況は同じ。インフレについての膨大な研究や経験に比べて、デフレについては経験も研究もごくわずかで、処方せんも確立されていない。何とかデフレを克服したように見える日本だが、どんな政策が効果を上げたのかは、いまだに分かっていないのが実情なのだ。
デフレはなぜ起こるのか、そして、どうやって克服すればいいのか…。デフレという経済の拒食症は、今なお多くの謎を秘めた難病なのである。