1995年11月、アメリカはこの言葉で、国中が大騒ぎになっていた。「政府の閉鎖」という言葉の通り、この時、アメリカでは、政府機能の一部が止まってしまっていたのだ。
アメリカの国家予算は10月から新年度入りする。ところがこの年、議会とクリントン大統領が予算案をめぐって激しく対立、新年度に入っても議会の承認が得られていなかった。予算がなければ、連邦政府の職員の給料も支払えず、政府機能はマヒする。
このため、通常は「暫定予算」を組んでその場をしのぐのだが、この時のアメリカは、暫定予算すら組めない事態に陥っていたのである。
「暫定予算」は新しい年度が始まった段階でも、予算が決まらなかった場合に組まれるもので、日本の場合は、財政法第30条で定められている。
日本の通常の予算編成は、前年12月下旬に政府案が固まり、年明け1月の通常国会で審議がスタート、4月からの新年度開始までに国会で議決されて承認を得る、というプロセスをたどる。
しかし、与野党の議席数が接近して審議が難航したり、スキャンダルや事件などが発生したりしたことで、予算審議がストップしてしまう場合がある。この他、衆議院の解散・総選挙が実施され、国会機能が停止した場合なども、予算審議ができなくなる。こうした事態になった場合に、暫定予算が編成されるのである。
近年では、細川連立政権時代の94年に、暫定予算が組まれた。
この時は、政治改革関連法案の審議を優先させたことから、予算案が国会に提出されたのは3月4日。当然、新年度のスタートに間に合わず、50日間の暫定予算が組まれた。暫定予算で新年度がスタートした直後の4月8日、今度は細川護煕総理が突然退陣を表明。とうとう暫定予算の期限である5月20日になっても予算審議が始まらず、さらに40日間延長して「暫定予算の補正予算を組む」という異常事態になってしまったのだ。
遅れに遅れたこの年の本予算が国会で承認されたのは、6月23日であった。暫定予算が編成されたことで、日本の場合には政府機能の停止は避けられた。
しかし、暫定予算であっても、国会の承認は必要となる。議会がこれも認めなければ、政府は機能停止に陥るのだ。95年11月のアメリカは、まさにこの状態であった。
第1次暫定予算こそ成立したものの、その期限であった11月13日までに予算が成立せず、第2次暫定予算には大統領が拒否権を発動したことから、連邦政府の職員210万人のうちの80万人が、自宅待機となった。
国防や郵便といった、国民生活に欠かせないサービスは維持されたものの、パスポートの発行や国立公園、博物館の閉鎖が全米で発生。クリントン大統領は、大阪で開かれるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)への出席を急きょキャンセルするという事態になったのである。
日本では、暫定予算が承認されず、政府が機能停止に陥った例はない。しかし、暫定予算は人件費や事務経費など、必要最小限の支出しか認めていないことから、政策的な機能がマヒしてしまうため、その影響は小さくない。
経済面でも、「暫定予算が組まれるような国は政治的に不安定であり、株式などに投資したくない」という不信感が広がり、株式や外国為替相場の下落を引き起こすことも少なくないのである。
「暫定予算」は、緊急避難的な措置だ。これが組まれることは、政治的な混乱が起こっていることの証しに他ならない。行政や経済に大きな影響を与えるだけに、暫定予算は可能な限り避ける必要があるのである。