「株式公開」は、企業の創業者が独占していた自社の株式を、広く一般の投資家に売却すること。その際に、株式が証券取引所に上場されることから、「株式上場」とも呼ばれている。この売却額がしばしば莫大なものになることから、一夜にして、大金持ちが誕生することになるのだ。
株式公開を理解するために、企業を「分譲マンション」、株式をその「住戸」と考えてみる。創業者は、分譲マンションを自分のお金で建設する。その際の元手が資本金で、これを1000万円と仮定すると、額面50円の株式が、20万株発行されることになる。これは、創業者が1000万円で、20万戸の住戸を持つ「分譲マンション」を建設したと考えられるのだ。創業の段階では20万戸の部屋すべてを、創業者が独占していることになる。
株式公開が行われる前に、額面50円だった株式は、株式市場での売り買いを通じて「市場価格」が形成される。もし、この企業の業績がよく、さらに将来性も高いと考えられれば、多くの投資家がその株式を欲しがり、人気が沸騰する場合がある。
売り出される分譲マンションが、好立地で設備も充実、将来の値上がりも確実となれば、買い手が殺到するというわけだ。これによって、株式の売り出し価格である「公募価格」が、とんでもない高値になることが少なくないのだ。
公募価格の実例を、「ライブドア」のケースで見てみよう。
ライブドアは、堀江貴文前社長が創業した当時は「オン・ザ・エッヂ」という有限会社であった。株式会社になった1997年の時点では、額面5万円の株式200株で構成されていた。堀江前社長は、「オン・ザ・エッヂ」という200戸を持つ「分譲マンション」を、1000万円(=5万円×200株)で建て、そこに一人で住んでいたのだ。
その後、「増資」によって他の出資者を募ったり、株式の12分割(結果として株数は12倍)を行うなどしたりした結果、2000年に株式公開した時の株数は1万2000株、このうちの7920株を堀江前社長が保有する状態となっていた。そして、株式公開の際に付けられた公募価格は1株600万円! この結果、堀江前社長は474億1200万円(=600万円×7902株)もの資産を手にしたのであった。これが、株式公開が大金持ちを生む「魔法」。
「オン・ザ・エッヂ」という「分譲マンション」をこつこつと建設した堀江前社長は、株式公開を実現したことによって、巨額の富を手にしたのであった。
しかし、株式公開は良いことばかりではない。会社の経営方針は、株主総会における株主の多数決で決められる。株式公開以前であれば、創業者がすべての株式を所有していることから、社長も当然創業者が務め、誰の干渉を受けることもなく経営を進めることができる。株式公開以前では、「分譲マンション」の住民総会はたった一人で行われるわけだ。
ところが、株式公開が行われると、新たな株主が会社の経営に関与できるようになる。そして、創業者の保有分が過半数を下回った場合には、株主総会で社長を解任される恐れがあり、さらに保有比率が下がれば、最悪の場合には会社を乗っ取られることもある。
株式公開によって、「分譲マンション」に様々な人が入居、気がつくとマンションを建てた創業者が追い出される、といった事態も起こり得るというわけだ。
かつてフジテレビの買収を画策していた堀江前社長が、「会社を乗っ取られたくなかったら、株式を公開しちゃだめですよ」と、豪語していた。堀江前社長は、フジテレビという「分譲マンション」の住戸を次々に買い付け、住民総会である株主総会で、主導権を握ろうとしていたのだった。
株式公開は、創業者に莫大な富をもたらす一方で、会社の経営権をめぐる激しい戦いに巻き込むこともあるのだ。
また、株式公開の後は、徹底した情報公開や、より厳格な経営が要求される。株式公開によって、その株式が様々な投資家の間で売買されることになるため、不適正な情報開示によって、投資家が損害を被らないように、厳しいモラルが求められるのだ。自分で建てた「分譲マンション」に自分一人で住んでいるのとは異なり、様々な人に住んでもらうのだから、その品質保持を徹底する必要があるというわけだ。
株式公開によって、企業は新たな課題を負うが、やはりそのメリットは大きい。企業経営に必要な資金を、銀行借り入れの他に、自らの株式を売却することでも調達が可能となる。さらに、株式公開によって企業が社会的に認知されて信用力も向上、ビジネスを展開する上で大きな武器を獲得することになるのだ。
株式公開は「現代の錬金術」であり、これからも多くのヒルズ族を生み続けることになるだろう。
(2001年施行の商法改正により、額面株式は廃止され、現在は無額面株式に統一されている)