その男は男爵(バロン)の爵位がないにもかかわらず「バロン薩摩」と呼ばれていた。1922年からパリで暮らし始め、大邸宅に運転手付きの高級車、美女を連れて高級ホテルでの晩餐に明け暮れ、ジャン・コクトーなどの文化人とも交流した。豪勢な生活で社交界の注目の的となった男の名前は薩摩治郎八、まだ二十代の青年だった。豪遊を支えていたのは実家からの仕送りで、その額は現在の貨幣価値で月額3000万円、30年に及ぶパリ生活で600億円を使い果たした。実家の薩摩商店は「木綿王」と呼ばれた祖父が極貧の中から起こした会社で、莫大な資産があった。しかし、二代目の父親は息子に甘く、経営が悪化しても仕送りを続けた結果、薩摩商店は1935年に閉店に追い込まれる。同族会社に典型的な、経営引き継ぎに失敗した例だ。
会社の経営を次の世代に引き継ぐのが「事業承継」であり、同族会社のオーナー経営者の場合を指すのが一般的だ。どんなに優れた経営者でも、経営権を譲る日が訪れる。事業承継はオーナー一族のみならず、従業員や株主、取引先などにも影響を及ぼす重要課題だ。
事業承継には経営承継と資産承継の二つの要素がある。経営承継は後任の経営者を決めること。同族会社の場合、経営者の子どもや親類がなる場合が多く、社内で働かせながら「帝王学」を学ばせ、時期が到来したら経営権を譲る。適任者がいない場合、婿養子などの形で、社外の有能な人物をスカウトすることもあるが、重要なのは経営の維持。薩摩商店の場合、仕事をする気のない息子の代わりに、別の人物を後継者に迎えるべきだった。しかし、二代目はその決断をできずに息子の放蕩を許した結果、経営承継に失敗したわけだ。
事業承継のもう一つの要素である資産承継は、会社の資産をどのように管理し引き継ぐかがポイントとなる。同族会社の場合、自社の株式はもちろん、不動産や家屋などの資産を動かす決定権をオーナー経営者が握っている場合が多く、高額の美術品や骨董品にお金がつぎ込まれ、経営を圧迫することがある。資産承継は経営承継と同様に重要で、どちらが欠けても事業承継は上手くいかない。二代目の事業承継の意識が希薄で、放蕩三昧の息子を放置した結果、薩摩商店は閉店に追い込まれたのである。
事業承継の失敗は、現代でも頻繁に起こっている。経営承継に失敗したのが大塚家具。創業者の大塚勝久氏が後継者に指名した娘の久美子氏と経営方針を巡って対立、これが深刻な経営不振を招いた。ゴッホの絵画を119億円で買った大昭和製紙二代目の齋藤了英氏など、資産承継の失敗が会社を潰す一因になったケースも多い。また、近年は後継者が見つからず、会社を他社に売却したり廃業したりして、事業承継を断念する場合も増えている。
1956年に無一文で帰国したバロン薩摩だが、「祖父が一人で作った金を、孫が一人でなくしただけ」と涼しい顔。55歳の時に30歳年下の踊り子と再婚するなど、自由奔放な生活を続けた。パリの日本人芸術家を支える社会貢献もしたが、勝手放題の三代目を、薩摩商店の関係者は複雑な思いで見ていたに違いない。事業承継はオーナー一族に限った問題ではない。経営者の「最後の仕事」が事業承継であり、これを完遂することが求められるのである。
事業承継
[Business Succession]