「ミセス・ワタナベ」は、日本の個人投資家の総称で、イギリスの経済誌「エコノミスト」が1997年3月27日号で使ったのが始まりだ。イギリスでは、大きなリスクを取らない小口の個人投資家を揶揄する意味合いも込めて、「アガサおばさん」(Aunt Agathas)と呼んでいた。エコノミスト誌はこれに倣い、日本の個人投資家を、日本人に多い名字を使ってミセス・ワタナベと呼んだ。
ミセス・ワタナベが注目され始めたのは、2007年ごろの外国為替市場だった。新しい取引材料がないにもかかわらず、ドル・円相場が昼休みを挟んで、大きくドル高・円安に振れることが頻発した。「何が起こったんだ?」と為替ディーラーたちは首をかしげたが、その理由が主婦やサラリーマンを中心とした個人投資家のドル買い・円売り注文にあることが明らかになる。少額の資金でも大きな取引ができる外国為替証拠金取引(FX)の登場で、個人投資家も外国為替市場に参入し始めていたが、家事や仕事の最中は取引しづらく、昼休みの時間帯に集中した結果だという。07年にはFXでプロ顔負けの4億円もの利益を上げた日本人主婦が、脱税で摘発されたことが伝えられて、更に注目度が高まったミセス・ワタナベ。その資金力と影響力の大きさに、当初は「素人」と見下していた為替トレーダーたちも、「ミセス・ワタナベはどう動くか?」などと、一目置くようになった。
しかし、ミセス・ワタナベには弱点があった。日本の個人投資家の場合、円を保有していることから、円を売ってドルなどの外貨を購入する取引からスタートするのが一般的だ。ミセス・ワタナベが活躍したのは05年から07年夏ごろまでの円安局面。円売りからスタートするミセス・ワタナベの取引スタイルと為替相場の流れが一致していたことから、容易に利益を得ることができた。「FXでもうけた!」という成功談が広がったことで参加者が急増し、ミセス・ワタナベは勢力を拡大させていく。
しかし、07年夏以降の円高局面になると、状況は一変する。円が上昇する中で、あえて円を売るミセス・ワタナベは為替トレーダーの餌食になり、「ミセス・ワタナベ狩り」という言葉まで出るようになった。大きな損失を抱えた人が続出し、ミセス・ワタナベは勢いを失ってしまう。
その後も複雑で予想しにくい相場展開が続いたことから、息を潜めていたミセス・ワタナベだったが、16年11月以降は活動を活発化させている。ドナルド・トランプがアメリカの次期大統領に決まったことを契機にドル高・円安が進み始める。得意の相場展開になったことで、多くのミセス・ワタナベが再び参戦し、ドル高の流れを加速しているのだ。
渡辺は渡辺津を本拠地とした人々が源平の戦いで活躍したことで、東海から九州まで広がり、日本有数の名字となったという。かつてのような単純な戦法ではなく、より高度な戦法を駆使する個人投資家も多い。外国為替市場という戦場で、ミセス・ワタナベは、再び領地拡大となるのか? その動向に注目が集まっている。