2018年8月のある日。ネット上で、ジュネーブの会議場で厳しい質問に答える日本政府代表の姿が中継されていた。テーマは、ヘイトスピーチ、慰安婦問題、アイヌ民族の遺骨や外国人技能実習生、マイノリティー女性の問題……と多岐にわたっている。これはなんだろう? と釘づけになった。国連人種差別撤廃委員会の日本審査の中継が行われていたのだ。今夏行われたこの審査で、何が問われ、政府はどう答えたのか? NGOの取りまとめ役として準備段階からこれに関わり、詳細を現場で見てきた小森恵さんにお話をうかがった。
日本の「差別」は顕在化している
2018年8月16日、17日に、スイス・ジュネーブで国連人種差別撤廃委員会(Committee on the Elimination of Racial Discrimination)の日本審査が行われました。この委員会は、国連における主要な人権条約の一つである人種差別撤廃条約に加入している締約国が、条約を履行しているかどうかを審査する機関です。
日本が人種差別撤廃条約に加入したのは1995年。日本審査は2001年、10年、14年に続いて今回は4回目になります。
日本の場合、人種差別は目に見えにくいかもしれませんが、被差別部落の問題、アイヌ民族、琉球・沖縄の人々、旧植民地出身者とその子孫、外国人、移住者、難民といったマイノリティーへの差別・人権侵害は連綿と続いています。しかも、近年は街頭やネット上でのヘイトスピーチという形で、差別的言動はより顕在化してきました。
世界のどの国にもなんらかの差別が存在しています。人種差別撤廃委員会は、人種差別撤廃条約に加入している締約国に、定期的に報告することを義務付けています。条約に加入したら、その国で問題となっているさまざまな差別を解消するために、国としてどのような措置をとっているのか、数年ごとに委員会へ報告書を提出しなければなりません。そして、その報告書をもとにジュネーブで人種差別撤廃委員会の委員と政府の代表が質疑応答をし、審査が行われるわけです。
日本政府は今回の審査に向けて、外務省が16年8月に「市民・NGOとの意見交換会」を開きました。というのは、委員会に提出する報告書を作成するのは政府ですが、国内の差別の詳細な実態は、永田町にいる政治家や霞ヶ関にいる官僚にはなかなかつかめません。そのため、政府は報告書を作成するに当たって、差別問題や人権問題に取り組んでいるNGOや市民の意見を聞く必要が生じます。そうして、内閣府、法務省、文部科学省、厚生労働省などがそれぞれ担当する差別問題について報告書を書き、外務省がそれを取りまとめて17年7月に人種差別撤廃委員会に提出しました。
また、委員会は政府の報告書だけではなく、直接NGOや市民からも意見を募ります。政府の報告書は委員会のウェブサイトに公開されるので、それに対して、国内の実情はどうなのか、差別は改善されているのか、サイト上で「NGOや市民もレポートを提出してください」と呼びかけるのです。
国連には人種差別撤廃委員会の他にも女性差別撤廃委員会などいろいろな委員会があり、いずれもオープンなシステムになっています。ウェブサイトにアクセスすれば、締約国の関連する報告書は誰でも見ることができます。また、委員会が募集するレポートも誰でも提出できます。
今回、私たち国内のNGO19団体と3人の個人は「人種差別撤廃NGOネットワーク(ERDネット)」としてレポートを一つにまとめ、委員会に提出しました。他にも、日弁連(日本弁護士連合会)や複数の団体・個人がレポートを送っています。
委員たちから厳しく問われた政府の姿勢
このようなプロセスを経て、日本政府代表団が8月にジュネーブにおもむき、16日と17日に日本審査が行われました。代表団には、外務省、内閣府、法務省、文科省、厚労省などから10数人の官僚が参加しています。また、私たちNGOのメンバー、弁護士、議員など約30人が、会場で審査を傍聴しました。
審査をする人種差別撤廃委員会は、18人の委員によって構成されています。これらの委員は、提出された政府の報告書およびNGOや市民のレポートをすべて読み込んで精査しています。差別問題はさまざまな人権問題に関与しているので、委員たちは、女性差別撤廃委員会の審査や、国連加盟国が互いに人権状況を審査する普遍的定期審査(UPR)、市民的および政治的権利に関する国際規約(自由権規約)委員会の審査などの日本に関する資料にも目を通し、参考にしています。
審査の1日目、委員たちからは鋭い質問が次々と日本政府代表団に投げかけられました。質疑では、前回14年の審査から、日本国内の人種差別がどれだけ改善されているのか、政府はどのような対策をとっているかの進捗も問われます。しかし、1日目の質問に対する2日目の政府回答に、大きな前進は見られませんでした。
委員会が、今回提示した日本の課題は多岐にわたります。例えば、在日コリアンの人々に対するヘイトスピーチとヘイトクライム、朝鮮学校の生徒たちへの教育の保障、アイヌ民族への雇用・教育・公共サービスにおける差別、被差別部落出身者の戸籍への違法なアクセス、外国出身のムスリムに対する警察によるプロファイリングと監視、「慰安婦」だった女性への人権侵害、難民認定申請者の長期にわたる収容、外国人技能実習制度の不備、外国籍の人々に対する民間の施設・公共サービスにおける排除や差別、マイノリティー女性への暴力や人身取引・性的搾取などなど……。
こうした課題のほとんどは、過去3回の審査でも委員から質問を受けています。4回目となる今回も、委員の問いに対して、政府は「検討中である」とか「引き続き取り組んでいく」などといった回答を繰り返しました。
加えて、「被差別部落出身者の定義が明確でない」「琉球・沖縄の人々は先住民族である」という委員会の指摘を、政府は今回も認めようとしませんでした。これは誰が差別の対象になるのかといった定義を巡る問題であり、毎回の審査において委員会と政府の見解は平行線をたどっています。
そして、委員会が1回目の審査から言い続けている「国内人権機関の設置」もいまだ実現していません。国内人権機関とは、あらゆる人権侵害からの救済を促進する独立した機関のことです。国内の人権侵害を防止するために政府に提言したり、人権侵害の申し立てを受けて調査をしたり、救済のための介入や救済の促進をしたりする専門委員会の設置の必要性は、この間ずっと、私たちNGOも訴えてきました。しかし、今回も政府は「(設置を)検討している」との回答でした。
さらに、差別的言動の処罰を規定している人種差別撤廃条約の第4条(a)(b)も、日本政府は留保したままです。第4条(a)(b)は、人種差別の扇動、暴力、宣伝活動などの行為について「法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること」「法律で処罰すべき犯罪であることを認めること」とうたっています。締約国は条約に加入するにあたって、国内法との関係などの理由で受け入れることができない条文を留保することができます(ただし、細かい条件が付いている)。そのため、日本政府は第4条(a)(b)を受け入れず、憎悪や暴力を助長する言動を法律で禁止しようとしません。
「人種差別撤廃NGOネットワーク(ERDネット)」
人種差別撤廃NGOネットワーク(通称ERDネット。Japan NGO Network for the Elimination of Racial Discrimination):マイノリティー当事者団体および支援団体を中心とし、日本における人種主義・人種差別・植民地主義の撤廃に取り組む団体・個人の参加も得て形成される恒常的なネットワーク。
小森さんが所属しているNGO「反差別国際運動(IMADR The International Movement Against All Forms of Discrimination and Racism)」はERDネットの事務局を結成時の2007年から担っている。
ヘイトスピーチ
差別的憎悪表現。[hate speech]憎悪の念を込めた言葉を使う攻撃.文化的多元主義が広がる中で,少数派に向けて発せられる