1つは、2016年4月に同じカラバフ地方で起きた軍事衝突である。それまでも散発的な銃撃戦や小規模な衝突は発生していたが、この時の衝突は両当事者間で4日間激しい戦闘が繰り広げられた。この結果アゼルバイジャン、アルメニア両国で強硬姿勢が強まり、特にアゼルバイジャン側はいくつかの地点を奪還したことで自信を深めたと言われる。2020年7月にはカラバフ地方以外のアルメニア・アゼルバイジャン国境で小競り合いが発生し、緊張は高まっていた。
もう1つは、アルメニアで2018年春に起きた「ビロード」革命である。20年にわたり政権を維持し、大統領制から議院内閣制への移行によって更なる延命を図った共和党政権が、野党政治家のニコル・パシニャン率いる市民の大規模抗議行動で倒れ、パシニャン新政権が誕生した。パシニャン政権が旧体制の一掃を図ったことで、ロシアとの関係においてある種のディスコミュニケーションが発生したと指摘する声もある。それだけでなく、旧共和党政権と緊密であったカラバフ地方のアルメニア人勢力指導部との間にも不協和音が生じた。こうした事態の展開を、アゼルバイジャン側が領土一体性を回復し捲土重来を期す好機ととらえた可能性はある。
おわりに 旧ソ連地域にくすぶる紛争の火種
長い時を経て21世紀に再び注目を集めることになったナゴルノ・カラバフ紛争だが、旧ソ連地域ではほかにも分離派による国内紛争を抱える国がいくつも存在している。アゼルバイジャンの北西に位置するジョージア(グルジア)には、アブハジアと南オセチアの紛争が未解決で残されている。2008年には、当時のサーカシヴィリ政権による南オセチアへの示威行為を発端に武力衝突が発生、停戦維持にあたるロシア軍の本格介入を招く事件があった(ロシア・ジョージア紛争)。
さらに西へと目を向けると黒海西岸にあるモルドヴァでは、国内を縦断するドニエストル川左岸のロシア系住民が分離独立を主張して沿ドニエストル共和国を名乗っている。この地域もロシアが後援することで状況が固定化されて現在に至っている。この沿ドニエストルの東隣、黒海北岸のウクライナでは、2014年のユーロマイダン(エブロマイダンとも)革命後に東部のドンバス地方の2つの州で親ロシア的な分離主義勢力が分離独立を主張し、大規模な内戦に発展した。
カラバフ地方における今回の大規模軍事衝突は、こうした未解決の地域紛争における「現状維持」が脆く、かりそめのものでしかないことを改めて突き付けた。この衝突が直ちに他地域に飛び火することは考えにくい。しかし一度崩れたバランスは容易には再建できない。ロシアの仲介で合意された「人道的休戦」は既に2度にわたって直ちに破られており、今回の軍事衝突が早期に終結する見通しは暗いと言わざるを得ない。アゼルバイジャンはこの機に積年の宿願である失地回復を果たそうとするだろう。追い詰められたアルメニアは「アルツァフ」の国家承認というステップを踏む可能性がある。その時、周辺国もまた新たな決断を迫られることになるだろう。