ともかく、大学時代、二〇一〇年頃に、丸腰の状態で小説を書き始めた僕は、プロの作家として、自由に書ける場所はどこだろうと、リサーチを開始します。どこでデビューすれば最も自由に書き続けられるのだろう?
当時の僕の目に、最も自由、かつ実力で勝負できそうに見えたのが、講談社のエンタメ小説誌『メフィスト』が主催する「メフィスト賞」という公募型新人賞です。同賞はそれまでに、佐藤友哉さん、舞城王太郎さん、西尾維新さんなど、ユニークな作家性を持った筆力の高い書き手を輩出しており、当時最もノっていて、イケていた雑誌でした。「これだけ自由に、常識に縛られずに書ける場所だったら、僕もデビューできるかもしれない」なんて図々しい期待を寄せて、四百字詰め原稿用紙四百枚くらいのものを仕上げて、投稿してみました。ただし、よく考えてみれば僕は別にミステリーが書きたいわけではない。というより、エンタメ小説をあまり読んでこなかった。一作送って落選して以来、投稿しませんでした。
そんな時に目をつけたのが、エンタメ小説誌ではなく、文芸誌でした。売り上げを度外視して作品を生産し続ける純文学というフィールドこそが、商業的な思惑に左右され難く、すなわち作家の実験的な態度を尊重してもらえるのではないか。「純文学とは自由な場所なんだ」という、希望的観測を基に僕は文芸誌に小説を投稿するようになったのです。
恥ずかしながら僕は、文芸誌の熱心な読者ではありませんでした。新人賞を受賞するための傾向と対策を学ぼうとしないどころか、同時代にどのような作品が発表され、批評されているのか、全く知ろうともしなかった。興味が無かったのです。なぜなら僕がデビューできるという事実は、運命によって決まっているから。小説家になろうとは決めたけれども、焦ってはいなかった。
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そして五大文芸誌の主催する各新人賞に、小説を投稿し続ける日々が、六年続きました。投稿作のほとんどが一次選考も通過しませんでした。当然ですよね、作風を先方の好みに寄せることなく、自由に書いていたのですから。六年目になって突然、最終候補に残り、そのまま受賞し、古川真人さんと同時にデビューできました。運がよかったのだと思います。六年間で小説を書く技術が身についたというのもあると思いますが、選考委員との相性、どんな作品が競合作になるのかなどによって、結果は大いに左右されますから。
デビュー作は『二人組み』という小説でした。僕の中学生時代の個人的な体験を、先行する数々の小説作品を特に参照することなく、自由に書いたものです。中学生男子が同級生の女子を性的な慰み物として利用するという、読む人が読めば憤慨してしまいそうな内容の作品でした。編集部や選考委員が政治的に正しい人たちばかりだった場合のリスクなどは考慮せず、自分が文学だと思える物であれば、それが文学なんだ、くらいの傲慢な態度で、どっしり構えて応募したものです。
当時の僕はデビューを目指して投稿生活を続けていたわけですが、しかし編集部に原稿を送り付けるときの心境と言えば、「どうかデビューさせてくれ」ではなく、「どうか誰か読んでくれ」だった気がします。「これが本当に誰かに読まれるのか?」という関心です。自分が自由に書いたものを他人に読まれる。それこそが、デビュー以前と変わらず、僕の小説執筆の目的なのだと思います。
デビュー第一作(デビュー作の次に発表した作品のことを業界ではそう呼ぶ)は、『ナイス・エイジ』という小説でした。
中学生の生活をリアリズムで書いた『二人組み』とは打って変わり、こちらは自称未来人が匿名掲示板に現れて新元号などを予言し、彼の祖母と同棲生活を送りながら巻き起こす世の中の騒動を描いたものです。我ながら、いわゆる今時の「純文学」っぽくないな、と思いながら書いた記憶があります。つまり「文芸誌に載ってなさそうだな」という印象です。デビューしてからはさすがに文芸誌をよく読むようになったので、批評の仕方の流行りだとか、評価を受けやすいテーマだとか作風だとかをぼんやりと認識するようにはなっていました。けれども、自作をそちらに寄せて書くような器用さなど新人の僕は持ち合わせていませんし、何より書いていて自分が楽しいものしか書けません。その時の気分に合わせて『ナイス・エイジ』を書き上げたのです。
編集者からはウケました。小説家としてデビューできたということは、そのデビュー作の作風が業界にウケるという事実が明らかになったわけです。ウケるかどうか定かでない新機軸で、二作目を勝負する、この僕の太々しさを、作家として良き態度だと認めてくれたのです。
僕としては、ウケたいという野心がないわけでもありませんでしたが、しかしとにかく一個の作品として原稿をまとめ上げることに精一杯で、掲載後の読者の反応など想像する余裕がありませんでした。
三作目『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』は、『ナイス・エイジ』のテイストを維持してほしいとの編集長からのリクエストに、結果的に答えたような作風の作品でした。
『ジャップ・ン〜』は『ナイス・エイジ』と同様、インターネットでのコミュニケーションを題材としつつ、「ポスト・トゥルース」というお題目を意識していると見せかけた、いかにも当世風の衒(てら)いを携えたS Fチックなやつです。
3・純文学で売れるためには
ところで純文学で売れるためには、どうすればいいのでしょうか。例えば漫画で言えば、単純に読者から人気になる作品を描けばいいわけです。そのために、週刊少年ジャンプで言えば雑誌で行う人気投票が編集の指針になるでしょう。作品によって部数はまちまちですが、必ずコミックス(単行本)化し、その売り上げで利益を回収します。作品のヒットは、今はSNSでのバズりがきっかけになることもあるでしょう。エンタメ小説もそうですが、メディアミックスがいい起爆剤になるかもしれません。映像化されれば、原作の売り上げに貢献します。
純文学は、そのエンターテインメント性の乏しさから、映像化に向いていません。大衆にウケるようなストーリーがそこにあるわけではないので、ミニシアター向けの低予算映画ならば相性がいいかもしれませんが。
文芸誌の読者だけを購買層として見込んでいても、採算は取れず、経済的なリターンは無いということを前提に考えてみます。
まず、作家は、芥川賞を受賞して、「芥川賞作家」という肩書きを手に入れなければなりません。物語作品は、その著者の名前が最高のタイトルなのだと、いつだったか文芸の編集者から聞きました。ネームバリューを確立してこそ、じゃあこの作家の作品だから手に取ろう、と購買層に思ってもらえる。確かに僕だってそういうふうに本を買います。純文学は、読解が困難なことがしばしばあります。ということは、まさに作家の名前、その格式、権威で売っていくしかないのです。
だからこそ、無冠の純文学作家の作品は、販売促進が困難なのです。芥川賞を受賞し、単行本の帯に「第○○○回芥川賞受賞作」「芥川賞作家最新作」などの文言が入らなければ、書店でライトな消費者の手に取ってもらえません。
要するに、出版社が純文学を売ろうとすれば、最終的には「話題性」を狙うことしか、実践的な行為が無いんですよね。賞の権威以外で言えば、衝撃的な内容とか、前衛的な試みとか、大衆に迎合した主張とか、作家の特異な経歴などで、話題性を狙ったりする。
文芸誌には時々、お笑い芸人やミュージシャンの書いた小説が載ることがあります。純文学の仕組みから考えれば当然こういうこともあり得るわけです。「誰が」「どんな内容のものを書いた」のかが重要で、その情報を消費者に売りつけている。