第3回目のゲストは、2020年、「首里の馬」で第163回芥川賞を受賞した高山羽根子さん。SF小説から戦争をテーマにした文学作品、さらに新聞紙上で美術評なども執筆する新鋭は「純文学」をどう定義しているのか? SFと純文学の違い、小説とアート作品の共通点、小説にできることは何か? など……。熱い議論が交わされる!
みんな文字を書くのが好き?
高山 この対談連載の高瀬隼子さん、町屋良平さんの回も拝読したんですけど、けっこう、がっつり「純文学とは何か?」って話されていますよね。私はデビューが純文学の新人賞ではなくて、SFの短編賞で、なんか別の山から登ってきたみたいな感じがあるので、今日うまく話せるか自信がないです。むしろ、私が鴻池さんに「純文学って何?」って聞きたいですよ。
鴻池 いやいや、今日はゲストの高山さんに答えてもらいます(笑)。純文学はともかく、高山さんのなかでSFはどう定義づけていますか?
高山 ジャンルへの意識は書き手より、読み手のほうが強いと思うんです。私みたいにどっちも書いている人間は、純文学の読者からはSFの作家だと思われているし、SFの読者からは純文学の作家と思われているんです。でも、「これは純文学じゃない」とか「これはSFとは認められない」というふうに言う人って、そのジャンルがとても好きなんですよね。
鴻池 それは高山さんの作品の読者がということですよね。
高山 そうですね。だから、私自身はどうジャンルを定義されてもいいんですよ。
鴻池 ご自身が書くときも、作品によってこれは「純文学」だ、これは「SF」だとジャンルを意識されていない?
高山 デビューしたのが、創元SF短編賞の佳作をいただいてだったんですけど、選考委員の方に選んでもらったからたまたまみたいな感じで、私自身はSF小説が特別に好きで応募したのとは違うと思います。
鴻池 インタビューで読んだんですけど、どなたかに創元SF短編賞に応募することを奨められたんですよね?
高山 そうなんですよ。小説教室に通っていて、同じ教室で学んでいた私より少し年上の女性の方が、小説の公募の一覧をよくチェックしていて、「ここに応募してみたら、始まったばかりの賞で、ウェブ応募もしてるよ」と言ってくれたんです。
それがきっかけのひとつでもありますが、もうひとつ私が応募するときに意識したのは枚数ですね。創元SF短編賞の400字換算の枚数は50枚なので、それなら応募できるかなと。というのも、私は35歳過ぎてから小説を書き始めたし、大学も美術大学で絵を学んでいた人間なので、あまり字を書いてこなかった。レポートとか卒論ではなく、絵とか作品を提出することが多かったんです。小説教室に通っていたときに書いていたのも50枚ぐらいの短編ばっかりだったんです。
鴻池 それまで、何作か応募してたんですか?
高山 いえ、絵とか写真はありましたけど、小説というものは初めて応募しました。
鴻池 すごい! 初めてで受賞したんだ。
高山 佳作なんで2番目、3番目でなんとか選んでもらったという感じです。それで、文庫本の短編アンソロジーに「うどん キツネつきの」という作品を入れてもらってデビューしたんです。それまでデビューの仕方を知らなかったんです。実はデビュー後に、小説誌で新人賞の公募があるって知りました。しかも、2000作以上のなかから選ばれてデビューしていると知ってビックリですよ。
あと最近、「文学フリマ」とかに参加してわかったのが、人ってこんなに字書くんだなと(笑)。
鴻池 ねぇ、本当ですよね。
高山 ビックリしましたね。あんなに人が字を書いて読むんだ……って。
魂が輝く瞬間に賭ける
鴻池 字を書いてこなかった高山さんが、そもそも小説を書き始めたきっかけは何だったんですか?