その事実を文芸誌の編集者は、新人作家に対して具体的に教えてくれません。中には教えてくれる人もいますが、結局のところ、文芸誌上で活躍していく中で、作家が各々「察しろ」ということなのです。ちなみにこの業界では「売れる小説は純文学ではない」という矜持(きょうじ)だってあり得ます。編集者サイドはどうかわかりませんが、作家にはそのように考えている人もいます。資本の論理からは独立したある種の「潔癖性」を売りにしている空間なわけです。だって純文学は商品ではなく、「芸術」なのだから。作家はそのことを作風でアピールするので、どうしたってエンタメのようにわかりやすく、楽しく、ワクワクするような展開になりません。純文学とは売れないものなのだ、という腹の括り方は、売れないことの言い訳であるのは当然として、開き直りを駆動力にしなければ続かないという一面もあります。常に赤字の商売に従事することはやはり、いくら巨大資本の加護のもとに自由にできるとはいえ、精神的にきついところがあります。営利企業の一部門であるからには、「売れなくていい」なんて、胸を張って言えるようなセリフでもないわけで。携わっている人たちのメンタリティが屈折していきそうな現実があります。
『二人組み』も『ナイス・エイジ』も、新人を対象とした何らかの文学賞に引っかかりもせず、つまり芥川賞だの三島賞だのの候補にあげられることもなく、いわゆる賞レースからはスルーされる結果しか残しませんでした。文芸誌の世界では普通、そのような作品は、単行本化されずに、そのまま雑誌のバックナンバーの中でアーカイブ化されるのがオチです。何年も純文学作家として活動していても、一度も文学賞の候補に取り上げられずに、作品が単行本化されることなく活動していく作家もたくさんいます。
僕の場合はその点、至極幸運でした。デビューした賞以外に肩書きの無い、キャリアとしては脆弱な僕のことを慮(おもんぱか)って、新潮社が両作合わせて『ナイス・エイジ』という単行本にまとめてくれました。
作家にとって自作の単行本(単著)は重要です。なぜならそれが作家としての名刺がわりになるからです。雑誌にいかに多くの作品を掲載していたとしても、単著がなければ世間は作家として認めてくれないのではないか? そんな恐れも僕ら書き手たちにはあります。それに単著が出版されれば、少なくとも大きめの図書館で新たな読者と巡り合う可能性が担保される。そうやってファンになってくれた読者の方とお会いしたことがあり、やはりその重要性を再認識しました。
デビュー作と二作目が単行本として出版されたことで、デビューしてからの僕の焦りが少し消えたというか、作家としてあまり芳しくない安心感に甘んじるようになってしまいました。新人作家としての目標が一つ達成されてしまい、何が何でも文学賞にノミネートしてやるぞ、という気概が減じたということです。
それに拍車をかけたのが、三作目『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』の芥川賞ノミネートです。この時点で僕の著作は全て単行本に収録されたことになりました。芥川賞は落選したものの、本の帯には「第160回芥川賞候補作」と誇らしげに表示され、帯の背にも「芥川賞候補作」と記載されました。いまだに僕は「芥川賞候補作家」という看板を背負って、何となく世間に対してマウントを取りながら、今も執筆活動を続けています。
4・芥川賞を獲るには?
デビューから六年経ちました。小説は中編を七つ、短編を一つ文芸誌に載せていただき、単行本は先ほどの二冊を出版していただいています。前述の通り、芥川賞には一度ノミネートしてもらいました。トークイベントや読書会なども開いていただいて、読者との交流も多く経験し、小説家という職業にやりがいを深く感じている今日です。
しかし、それでも満たされない何かがあるのです。その正体を探っているうちに、デビュー前に望んでいたあの自由を、実は一度も享受できていないからではないか、と思いつきました。
僕は、作品のクオリティのために幾つかのこだわりを犠牲にするのも吝(やぶさ)かではないタイプの作家です。というか、商業作家として当然の義務だと考えています。編集者や校閲者から何か指摘される、そんな些細なことで、自由を抑圧された気になったりはしません。そういう技術的なことではなく、「僕は常に何かに阿(おもね)って作品を書いているな、無益だな」という自覚があるのです。そして自分が何に対して阿っているのか、全く見当もつきません。文芸誌という存在が、僕の中で何か引っかかっているような気もする。あるいは「純文学」を自分の中で正確に定義できた瞬間、小説家としての自由とは何かを掴めそうな予感もあります。そう、つまり、「純文学って何だよ」って感じなのです。
無論、他のジャンルの物語創作に比べたら、はるかに自由な現場であるとは思います。基本的に編集者は、純文学作家に、とりわけ若手に対しては、「こういうものを書け」などとは具体的に提案しません。「何が書きたいですか?」という質問に対し、作家側がぼんやりと構想を話す、もしくは「最近何か気になることはありますか?」という世間話から、小説についての話に繋げていく。これが打ち合わせの大まかなスタイルだと思います。ガチガチにプロットを練り上げて、そこから執筆していく、というケースは、非常に稀だと思います。「出来上がったら見せてください」と言われて、書き上げた第一稿を送り、先方がそれに目を通して、編集方針を定めてからやっと、二人三脚で小説に手を入れていく。その時点でボツになることもあります。若手作家は全く儲かりませんから、働きながら何とか時間を工面して小説を書くわけです。数ヶ月かけて作品を書き上げたとしても、それが全て無駄になる、ということもザラにある。運よく発表されたとしても、雀の涙みたいな原稿料しかもらえず、また運よく単行本になったとしても、初版数千部だけで以後重版しない。それでも書きたい、と思い、書き続けられるのが、純文学作家としての重要な才能の一つなのでしょう。文学賞から見放されているという危機感とか、自作が単行本化されないという悔しさ、自作が理想的な読者と出会えていないのではないかという焦燥感とも闘いながら、文芸誌に作品を発表し続ける。それが、僕たち文芸誌の若手小説家の実態です。
***
先日、とある先輩作家と一緒にお酒を飲んだんです。曰く、「鴻池さんの作品は、あれじゃあ芥川賞、獲れないよ。クオリティとかの問題じゃなくて、要件が足りないの」
それはどういうことか尋ねると、