冬季オリンピックでは選手の服装の乱れが大問題のように報じられたが、そんなレベルの問題ではない。仲間うちの“賭けゴルフ”などとはまったく違い、野球賭博は組織的なもので、その賭け金は暴力団の資金源となる。動くお金も何百万単位とケタはずれに大きい。
そういえば昨年(2009年)の夏は芸能人の薬物汚染が大問題となったが、なぜ芸能の世界、プロスポーツの世界に生きる彼らは、「いけないこと」とわかっていても薬物、賭博に手を出してしまうのだろうか。「相撲の世界ではそれが慣習だった」とはいえ、いくら何でも、組織的な賭博が違法なのは、彼らにもわかっていたはずだ。
最大の理由は、やはり「私は特別だ」という特権意識に裏打ちされた“甘え”であろう。タレントだ、力士だとなると周囲からもチヤホヤされ、一般の人たちができないような経験もいろいろとできる。そのうち、「私は何をやっても許されるはず」「私は世間の法律とは無縁の世界で生きているんだ」といった錯覚に陥り、つい違法なものに手を出してしまうのだ。
ただ、一方的に彼らの非を責めればそれで解決、というわけでもない。浮き沈みの激しい芸能や相撲のような勝負の世界に生きる人たちは、常にたいへんなプレッシャーと不安の中で日々を生きている。うまく行っている場合は、脳から精神を興奮させるアドレナリンのような化学物質が分泌され、いわゆるノリノリの状態で仕事や練習(相撲なら取組やけいこ)にいそしむことができるだろう。
ところが、いくら一生懸命やっていても、それに見合うだけの結果が出ない、ライバルが突如出現して蹴落とされた、プロダクション(相撲なら部屋)の勢力が弱くて不利な立場に追いやられた、などの理不尽なことが起きる場合もある。本来ならそういうときは落ち込んで引きこもりたいところだろうが、決まったスケジュールに従って動かなければならない芸能人やプロスポーツ選手はそうもいかない。
そこで彼らは、なんとかして自分をごまかし、脳からの“興奮ホルモン”の分泌を促しながら、テンションを上げて次の仕事に向かわなければならなくなるのだ。そのために使われるのが、違法な薬物であり、大きな刺激を味わえる賭博なのではないだろうか。
とはいえ、そうやって一瞬の別の刺激に自分を酔わせ、感覚をまひさせて現実の緊張や不安から逃げても、事態は解決しない。それどころか、よい結果は出ずに、ますます窮地に追い込まれるだけだ。そこはいくら苦しくても、プロであれば日々の逃避はせいぜい「寝る前の一杯のお酒」程度にとどめ、現実と直面しながらがんばるしかない。
日々の刺激と現実離れしたお金のやり取りで、差し迫った目の前の問題から逃避し、興行を続けてきた大相撲の関係者たち。問題の乗り越え方としては、それは最悪だったと言わざるをえない。
国技たる大相撲が、人々に教えたのは、「苦しいときには、もっと強い刺激で自分をごまかせ」ということだったとは…。これに比べれば、外国人力士が多すぎることなど、問題にもならない程度。
適当な処分や注意にとどまらず、すべての毒を一掃して、再スタートを切ることができるのかどうか。日本サッカーが華やかな活躍を見せた影で、大相撲はその歴史が始まって以来の危機に瀕している。