「景気を決めるのは気分」とよく言われるが、このところの市場や為替はまさに気分によって大きく変動している。たとえば4月5日の東京株式市場は、黒田東彦新日本銀行総裁の就任と新たな量的金融緩和策を受けて、出来高は過去最高を更新した。
テレビのニュースでは、黒田新総裁が記者会見で「次元の違う金融緩和」という単語を発した瞬間に、注文の電話がジャンジャン鳴り出した証券会社の様子を映し出していた。「まだ言っただけなのに」と驚くが、「期待」が増すと上がり、「不安」が生じると下がるのが株価というもののようだ。
では、金融緩和は、そもそも何のために行われているのか。それはもちろん、日本を覆い尽くしている「不況」の克服のためだ。不況とは、辞書的な意味は「経済活動が不活発なこと」であるが、より具体的には「需要と供給の問題」と考えられる。つまり、円安、株価だけでは不況は克服できず、どうしても国内の需要や消費が伸びることが必要になってくるのだ。もちろん、そのためには働いている人の賃金が上がるとか、増税に傾かないようにするための対策も必要だろう。
経済紙などは、「株価が大きく上昇」といった報道を受ければ、一般の人たちも気持ちが前向きになり消費が後押しされるのではないか、といった見方をしている。しかし、本当にそんなに簡単に「気分次第の消費」が行われるだろうか。
学生たちを長く見続けてきた就職雑誌の編集長は、いまどきの若者を「さとり世代」というキーワードで分析していた。日本が不況に突入してから生まれた彼らは、手がたく貯金する以外には、お金を使いたいという欲求もなく、むしろ「浪費は悪」と考えている。「欲しいものは」ときいても「特にない」と答える。
もし、こういう人たちがこれからの社会の担い手になるのだとしたら、いくら株価が上昇したところで、それどころか賃金が上がっても、一向に消費の方向には気持ちが向かず、結果的には需要が思ったように伸びない、という結果にはならないだろうか。
つまり、株価を上げているのも「気分」なら、せっかく明るい話題が増えているのに消費を抑え込む要因になっているのも「気分」ということだ。
では、どうやって「さとり世代」の若者に、「お金を使ったりたまにはぜいたくしたりするのは、悪じゃないのだ」と思ってもらえばよいのだろう。いや、ここで本当に、「さあ、景気が良くなってきたのだから、どんどんお金を使いなさい」と教えることは良いことなのだろうか。
昨年、世界の首脳らが環境問題と開発のあり方について考える国際会議「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」で、ウルグアイのムヒカ大統領は、地球環境を悪化させているのは「ハイパー消費」という世界に広がるライフスタイルだ、と喝破した。「もっともっと」とモノを欲しがる生活が、社会や人々をどんどん幸せから遠ざけていると自国の例もあげながら説明したのだ。
とはいえ、日本でこのまま不況が続いて良い、というわけではない。環境も、人々の心身も健やかに保たれ、かつ経済活動が活況を呈する。そんな都合のよい解決策はないのだろうか。アベノミクスでわきかえる日々の中で、ふと考え込んでしまう。