町屋 小説は起きたことを言葉に変換して、理解するということに慣れすぎた、権威的な人物の営為ですよね。それなのに、あたかも、普通の日常を懸命に生きてますみたいに書かれていて、いやいや無理あるっしょみたいな問いが前提にありますよ。
鴻池 世の中の人たちって、こんな高度なこと日常的にできないですよ。俺もできない(笑)。
町屋 実際そうですね。自分が周りの人に接してても、言葉がそう簡単には通じない。もっと身体的な身振り手振り、表情も含めた〝言語〟のほうで伝わるし、それでようやく会話が成立している。小説でさらっと書かれている状況の多くは異常です(笑)。
鴻池 小説って変なんですよね(笑)。それもあって、僕が書いた小説は、最近、主人公が小説家のことが多いんです。
町屋 たしかに、劇作家とか、創作する人が出てくるようになりましたよね。
鴻池 なんか、小説に対して真面目になりすぎているのかもしれないんです。創作している人を出さないと、なんかウソっぽい。
町屋 長く読み継がれている古典作品とかでも、創作するマインドを代表するような登場人物が出てくることは多いと思います。不自然のように思われるかもしれないけど、そうでないと逆に読み継がれるような普遍性に到達できない。私の場合はダンスとかボクシングとか、ある部分で創作的に運動する人を語り手にすることでなんとか乗り切れました。スポーツをやっている人と、創作している人のマインドは近いので。生活に還元できない別の言語領域にしがみついて生きているから。
鴻池 なるほど! そこらへん、書評家とか言えや!
町屋 自分で言っていきます(笑)。でも、他人に言ってほしいことはありますね。鴻池さんもデビュー作からの意図が批評の言葉で語られなかったからこそ、いよいよ主人公を創作する人にせざるをえなくなってきた部分があると私は思います。
鴻池 そうだったんですね。
町屋 いや、急に他人事みたいに(笑)。
鴻池 町屋さんは作家として、今後の野望みたいなものあります?
町屋 野望!? うーん……。自分が好きだと思っていた小説のいい部分を途切れさせたくないという気持ちはありますね。
鴻池 ああ、「私の批評」のなかに「すばらしいとおもった小説が批評家に貶とされていると激怒し、気に入らない小説が批評家に褒められているとおなじく激怒する。『私の小説』より他者の書いた小説にその傾向ははげしい」とあるけど、それともつながっているんですかね。これ僕もそうなんです。自分がいいと思っている作品が批判されるとイヤですね。
町屋 これは自分が小説を書いているからなんですかね。自分のことで怒っているのかな。私は自分の好きな作品が批判されていると、異常にキレちゃいますからね(笑)。そのときたまたま相手してくれた編集者さんが引いてました。その編集者さんが批判したわけじゃないのに(笑)。
鴻池 好きな作品は「自分」になるんですかね。
町屋 そうかもしれないです。
だから他人の小説でも、自分がいいと思っている部分が後の世代に読み継がれていってほしいです。こういう部分も〝小説〟に必要なんだって言いたいんです。若いときは、いいものは残るだろうという根拠のない自信があったけど、最近はなくなるときは呆気なくなくなると思っています。すでに50年残っているものは揺るぎないと思うけど、10年単位ではどんどん消えていると思う。〝ここがいいんだ〟と言い続けて、残していくことが小説というジャンルにとってもいいんじゃないかなという傲慢な〝信仰〟のようなものがあるんです。
鴻池 最後にとてもいい意見が聞けました。今日はありがとうございました。
松波太郎
1982年生まれ。三重県出身。小説家。鍼灸師。サッカー教室コーチ。創作教室講師。
2008年、「廃車」で第107回文學界新人賞を受賞し小説家デビュー。2014年、『LIFE』で第36回野間文芸新人賞受賞。
2019年、さいたま市内に鍼灸院「豊泉堂」を開設。著書に『自由小説集』、『カルチャーセンター』などがある。
青木淳悟
1979年生まれ。埼玉生まれ。小説家。2003年、「四十日と四十夜のメルヘン」で第35回新潮新人賞を受賞しデビュー。2005年、『四十日と四十夜のメルヘン』で第27回野間文芸新人賞受賞。2012年、『わたしのいない高校』で第25回三島由紀夫賞受賞。著書に『匿名芸術家』、『激越!! プロ野球県聞録』などがある。