第6回目のゲストは、ロックバンド・クリープハイプのフロントマンであり、近年は小説家として文芸誌に作品を発表している尾崎世界観さん。2020年に発表した「母影(おもかげ)」が芥川賞の候補になるなど、小説作品も高く評価され注目される尾崎さんは「純文学」をどう定義しているのか?
小説は本当に書くのが難しい? 音楽と小説の関係性について、新人賞受賞でデビューしたほうがよかった? など……。熱い議論が交わされる!
尾崎さんは、鴻池さんにコンプレックスを持っている!?
鴻池 今日はありがとうございます。ダメ元の依頼で、絶対断られるから、他のゲストの方も考えておかなきゃなって思ってたんですよ。出てくださってとても嬉しいです。
尾崎 いやいや、この連載も第1回目から全部読んでいて、まさか声をかけてもらえるとは思っていなかったので、こちらこそ嬉しかったです。というのも、実は、ずっと鴻池さんにコンプレックスを持っていて。
鴻池 えっ、どういうことですか?
尾崎 中編小説「母影」は『新潮』2020年12月号に載ったんです。同じ年の『文學界』の12月号に載ったのが、鴻池さんの「わがままロマンサー」。
鴻池 そうか! 同じ時期でしたね。
尾崎 文芸誌に作品が載ると、新聞の文芸時評で何か言及されたりするじゃないですか。あそこでも、「母影」については全く触れられていなくて、ほとんど、「わがままロマンサー」のことばかり。本当に悔しかった。
鴻池 「わがままロマンサー」は自分史上一番、バズったかもです。
尾崎 ツイッター(現X)には、同人誌を作って小説家を目指す人たちのコミュニティがあるじゃないですか。そこで、文芸誌に掲載された作品の感想とかをみんなつぶやいていますよね。
鴻池 あーあれ、ごちゃごちゃうるさいですよね。
尾崎 いや、でもそのなかから、プロになった人もいるわけですよね。そういうコミュニティからの評判も悪くて……。それに比して、「わがままロマンサー」はみんなから面白いと評価されていましたよね。
鴻池 出版社的には評価されてないですよ。結局、あのときも芥川賞にノミネートされたのは尾崎さんの「母影」だし。そういう時評とか、ネットに書き込まれた感想をマメにチェックされるんですね。
尾崎 ええ、自分の作品が論じられているものは穴が開くほど見ます。だから、2020年の年末は相当落ち込んでました。「わがままロマンサー」ばっかりじゃんって……。
鴻池 なんか気分いいな。ビールが美味い! いいですよ、そんなヨイショしなくても!
尾崎 ヨイショじゃなくて本当なんです!
鴻池 尾崎さんは、元々、小説を書きたいという気持ちがあったんですか?
尾崎 子どもの頃から文章を書くのは好きでしたね。作文も先生から多少は評価されていたので、得意なのかもと思っていました。勉強は全くできなかったけど、国語だけは成績がよかったんです。音楽をやるようになってからは、歌詞を書きながら言葉を書くことを意識し始めたんです。でも、歌詞って捉え方が難しくて……。歌詞が好きだというファンの方も多いんですが、多分、それは音を聞いてるんですよね。
鴻池 なるほど、歌詞がいいかどうかは、書いた本人にはわからない難しさがあると。曲と歌詞は切り離せないですしね。
尾崎 そうです。だから、自分の書く言葉に自信がなくて、小説は書いちゃダメだと思っていました。そう思っていたら、ある日、突然、歌えなくなった。いまだにそれを引きずっています。スポーツ選手でいうイップスのような状態になったんですね。そのときに、たまたま編集者さんから「小説書いてみませんか?」という依頼があったんです。それで初めて書いたのが『祐介』(2016年 文藝春秋)です。次に書いた「母影」も、コロナ禍でライブができなくなって書けた。だから、自分にとって何か大きな事件のようなものがないと小説を書けないのかもしれない……。
鴻池 それは、音楽の制作がうまくいっていない時期ということですか?
尾崎 曲の制作というよりは、うまく歌えないことですね。これは小説家の方と決定的に違うと思うんですが、ミュージシャンは自分で作ったものを何回もやらなければいけない。再現の難しさがあると思うんです。それこそが音楽の魅力かもしれないけど、その再現がしんどかった。ままならない体と付きあっていかなきゃいけない。ずっと体がついていかないストレスを抱えていたんです。自分で作った曲のメロディーに自分の体が追いついてこない恥ずかしさもありました。
でも、小説の場合は最初から〝できない〟わけです。1行も書けないんですよ。それは悔しいんだけど、できないことが救いでもあった。やっぱり、シンプルにものを作る苦しさみたいなものを味わえる安心感がある。ただ、当たり前だけど、小説に関してはいつまでも自分が〝お客さん〟という感じが拭えないんです。珍しく熱心に応援してくれる書店員の方がいるなと思ったら、クリープハイプのファンであると。もちろん、ありがたいんですけど、複雑な気持ちにもなる。間違いなく、音楽をやってきたから小説を書くこともできたとわかってはいるんですけど……。そういう意味で、小説、特に純文学というものに対して、コンプレックスがあります。
鴻池 音楽にも、〝純文学っぽい〟ものってありますよね?