作者が自ら解説しないといけない時代
鴻池 まだ全然、酔っぱらってないのに、酔っぱらったふりしてぶっちゃけて言うと、町屋さんのデビュー作「青が破れる」のよさが全然わからなかった。
町屋 私は鴻池さんのデビュー作「二人組み」からずっと好きでしたけどね。
鴻池 あーなんか、俺の印象が連載第1回目に続き着実に悪くなる。「文藝賞」をとった町屋さんと、「新潮新人賞」とった僕と古川真人くんって同じ日に小説家になったんですよね。
町屋 そうですね。発表媒体の『文藝』と『新潮』の発売日が同じですからね。
鴻池 だから、勝手に親近感抱いて町屋さんの作品もすぐ読んで、当時、古川くんとよく文芸誌の作品について電話で話してたんだけど、「町屋さんの作品、俺わからないんだよ~」とか話した記憶がある。わかんないから、「青が破れる」の作品評とかを読んだんですけど、どいつもこいつもピンとこない。自分だけがわかってうっとり酔っている文章ばかり読まされて、もう、うんざりしたんですよ。
町屋 ははは(笑)。
鴻池 だって作品のわからないところを読者に教えるのが、書評家の仕事でしょう。それで町屋さんの最新作『ほんのこども』を読んでようやく町屋作品の面白さがわかった。小説家の「私」が出てきて、「私小説」のような自己言及もあるし、小説観とかも作中で吐露されているから、よくわかる。と同時に、書評家どもがいかに手抜き仕事していたかがバレましたね。町屋さん自身が作中で説明したほうが、よっぽど面白さがわかる(笑)。
町屋 そこまで過激なことは思わないにせよ、自分で自分の作品について解説しないといけないと思った瞬間がありました。
鴻池 あっ! 解説しないといけないというモチベーションがあったんですね?
町屋 ええ、ありました。いまの時代はそうなんじゃないかな。自分が書いていることのポイントを自分でそのまま作中で、「ここが面白いんです」みたいな感じで書くし、こういう狙いがあって書きましたとインタビューとかでもはっきり言ったほうがいい。実際いま読まれていたり文芸誌によく載っている作品は、大抵自作の面白ポイントにちゃんと自己言及していると思います。私も含め自覚があったりなかったりだと思うけど、全体の傾向としてそうだと思う。これは、これから小説を書きたい若い人にはあまり言うべきことじゃないかもしれないけど……。
鴻池 自分で面白さを理解して書いちゃえばいいと。
町屋 ええ。いまの時代は小説家もそうだけど、そう考えている創作者は多いんじゃないかな。以前、映画監督の庵野秀明さんが「謎を謎のまま受け容れてもらえなくなってきた」というような意味のことをTVで語っていたんですけど、その言葉は刺さりました。かつては作品の謎を解くのが楽しみ方のひとつだったり、批評家に作家すら気づかない謎を解いてもらうっていう楽しみ方があったと思うけど、いまは多分違う気がする。作家側も意図していない知らない謎を勝手に解かれたら怒ります。僕はデビュー前から、作家のトークイベントとかに参加していたんだけど、やっぱり書いた本人から直接、作品のことを聞くのがいいんです(笑)。仮に、作家が直接その作品について言わなくても、言ってないことから作品がわかることがあります。鴻池さんも、自分の作品に関して、はぐらかすところがあるけれど……。
鴻池 はぐらかしますね。
町屋 それでも、伝わることがある。
鴻池 松波さんとか、絶対自分の作品のことを言わないというスタンスですよね。
町屋 うん。でも、その言わなさが意外に饒舌だったりします。松波さんぐらいのキャリアの作家だと、私は純粋に松波さんの読者だった時期があって、そのあとデビューして、お会いしてお話しするうちに少し、作品をわかった気がしたこともあります。
鴻池 それ、ありますよね。
町屋 デビューして文芸誌に書いている作家の特権のひとつかもしれないですね。
鴻池 そうか! 純文学を楽しむ一番の方法は、純文学を書く作家になることですね!
町屋 そうですね。本当にそうかも(笑)。語っている内容が面白いとか、言っている意味を真に受けるかどうかですらなくて、会ってお話しすると、いつの間にか、自分でも知らず知らずのうちに作品を読み解くカギを受け取っている気がして楽しいんですよね。テキストだけで判断する立場も面白いけど、テキストだけで理解するのも、作家の話を聞いて理解するのも、どっちがどっちを損なうとか、どっちの方がいいとか悪いとかもないと思う。というかそこを切り分けるのは無理だなと思います。
話が違いそうでつながっているんだけど、僕はボクシングをやっていて、そのときはただの会社員だったし、プロになってリングに立つまでの覚悟はなかったんだけど、プロライセンスを取るためにやっていて、なぜならそっちのほうが面白いんです。同じ月謝を払っているのに、プロ志望はいい練習をさせてもらえるんですよ。プロを目指したほうが練習が多いし濃いので得なんです。もちろん身体は大変ですが。
小説もそれに似ていて、プロを目指して作品を読んだり、書いたりしたほうが得なんですよ。
たまに「なんで、わざわざデビューしたの?」とか、「なんでわざわざ文芸誌とかで発表するの?」とか聞かれることがあるんですね。確かに小説って勝手に書いて勝手に終わってもいいじゃないですか。ひとりでどこにも発表するあてもなく、ひたすら書いていてもいいわけです。でも、プロになろうと思ってなった。それは「小説をさらに楽しむため」っていうのが正直な答えなんです。
鴻池 町屋さん、ピュアだな~。
松波太郎
1982年生まれ。三重県出身。小説家。鍼灸師。サッカー教室コーチ。創作教室講師。
2008年、「廃車」で第107回文學界新人賞を受賞し小説家デビュー。2014年、『LIFE』で第36回野間文芸新人賞受賞。
2019年、さいたま市内に鍼灸院「豊泉堂」を開設。著書に『自由小説集』、『カルチャーセンター』などがある。
青木淳悟
1979年生まれ。埼玉生まれ。小説家。2003年、「四十日と四十夜のメルヘン」で第35回新潮新人賞を受賞しデビュー。2005年、『四十日と四十夜のメルヘン』で第27回野間文芸新人賞受賞。2012年、『わたしのいない高校』で第25回三島由紀夫賞受賞。著書に『匿名芸術家』、『激越!! プロ野球県聞録』などがある。