「ベーシック」は基礎。「インカム」は所得。日本語では「基礎所得保障」などというネーミングが一般化しています。全ての人々に、その能力や資力などのいかんを問わず、定額の基礎的所得を国が保障する。そういうやり方です。要は、全ての国民に対して、政府が責任を持って、月々、一定金額の支払いを行うということです。
ベーシックインカム概念の大きな特徴は、上記の通り、人々の力量や特性を配慮の外におくところにあります。大金持ちであろうと、極貧者であろうと、高齢者であろうと、若者であろうと、関係ありません。誰に対してでも、一定額の所得を保障するのです。
実際には、既存の社会保障制度との併用構想などもありますが、基本は、万民均一型の所得保障です。
この発想の歴史は、ざっくり言って16世紀にさかのぼります。ここを出発点として、ベーシックインカムの発想は様々な発展・変形をたどりながら今日に至っています。
いずれにせよ、この概念の基本にあるのは、全ての人間に、まともに生き永らえる権利があるという考え方です。何人たりとも、この権利を剥奪(はくだつ)されてはならない。この地球に生を得ている以上、全ての人々は、地球が与えてくれる恩恵に浴する権利を有している。このような発想に立脚して、万民に基礎的所得を保障しよう。これが、ベーシックインカムのそれこそ最もベーシックな考え方です。
こうしてベーシックインカムのルーツを確認している限りにおいて、これぞまさしく、今日的な貧困と格差問題に対する特効薬であるように思えてきますよね。ですが、ここで少々気になることがあるのです。それは、いわゆる「小さな政府」や福祉の効率化というテーマとの関係で、ベーシックインカム政策の有効性を唱える人々がいるということです。
既存の社会保障制度は全部やめてしまえ。その代わり、全国一律のべーシックインカム政策を導入する。例えば、全ての日本国民に月間15万円を支払う。その代わり、既存の弱者救済政策は一切、停止する。
もしも、そんなことになったら、弱者のための公助の論理は消えてなくなってしまいます。月間15万円のベーシックインカムを、きちんと管理出来ない人もいるでしょう。全部無駄遣いしてしまう人もいるかもしれません。そのような自己管理能力のない人々こそ、実を言えば公助を必要としているはずです。
そのような人々の、体のいい厄介払い。そのような魂胆からベーシックインカムが議論されるようになると大変です。杞憂(きゆう)であって欲しい。そう祈ります。ですが、どうも気になるのです。