型破り派だけに、どこまで成果を上げられるかは全くの未知数ですね。フランスでは、近々、議会選挙もあります。マクロン党は、果たしてどれくらい議席を確保出来るでしょうか。むろん、それによって今後の展開が大きく左右されることになります。大統領といえばとても偉そうですが、実はその意向も立法府の決定権には規定されます。
マクロンさんは親EU派なので、欧州委員会の幹部たちなどからは、大いに歓迎されています。彼の国内経済改革構想にも、期待が寄せられています。ですが、全ては、さしあたりまさに期待値に過ぎません。
筆者も、マクロン大統領の手腕についてはさしあたり何とも見極めがつきません。まずは、これからの成り行きを見るほかはありません。ただ、これまでの彼の発言の中に、一つだけ、筆者として大いに注目したものがありました。それは、彼が大統領選挙の決選投票に進んだ時のことでした。その時、彼は次のように言いました。「今、対峙しているのは、愛国主義と国粋主義だ」。
これは、彼と決選投票を争うことになったマリーヌ・ルペン氏のスローガンに対抗したものでした。彼女は「いまや左翼も右翼もない。あるのは、グローバル対愛国の対決のみだ」と言いました。これはとても危険な言い方である。日頃から、グローバル化の犠牲になってきたと感じている人々にとって、悪魔の甘言的魔力を持っています。この悪魔的甘言が、選挙結果の決め手とならなくて本当に良かったと思います。
上述の通り、マクロンさんも「自分は右派でも左派でもない」と言っています。だからこそ、ルペン氏の「いまや右翼も左翼もない」発言に敏感に反応したのでしょう。いずれにせよ、このマクロン発言の評価すべき点は、愛国と国粋は違うと明言したところにあります。愛国というのも、実は怪しげな概念です。ですが、いずれにせよ、それを国粋主義の隠れみのにすることは、決してあってはならないことです。この点に焦点を当てたという意味で、マクロン発言は貴重だったと思うのです。
愛国者なら、国家を崇め奉れ。排外主義に徹しろ。我々は、そんなメッセージに決して惑わされてはいけません。