ジョブ型雇用。この言葉をよく聞き、よく目にするようになりましたね。
ジョブ(job)は仕事、業務、役割などの意です。こなすべき仕事、携わるべき業務、果たすべき役割を特定して、人を雇うやり方がジョブ型雇用です。従来の日本的雇用慣行は、仕事・業務・役割を特定せずに新卒者を採用し、職場から職場へのローテーションの中で会社人間としての習熟度を高めていくというものでした。それとは一味も二味も異なるジョブ本位のやり方が、果たして、日本で定着することになるのか。この点が盛んに論議の的になっています。さて、どうでしょうか。
ジョブ型雇用につきものなのが、「業務記述書」です。英語で言えばジョブ・ディスクリプション(job description)です。ジョブ・ディスクリプションに書かれていないことはやらない。ジョブ・ディスクリプションに含まれていないことを、上司は部下にやらせてはいけない。これがジョブ型雇用の基本原理です。
欧米のドラマなどには、しばしば、このジョブ・ディスクリプションを巡る職場でのもめ事が登場します。筆者が大好きなイギリスの恐竜もののテレビシリーズにも、そういう場面が出てきます。時の裂け目から現代に闖入(ちんにゅう)してきてしまう恐竜たち。彼らを、ご無事に自分たちの時代にお戻り頂くための機関がこのドラマの主舞台です。その所長さんが、コンピューターネットワークの総括コントローラー嬢に、自分の車が交通渋滞から脱出出来る運行ルートを検索して送信してくれと言います。すると、美人コントローラーは、「カーナビ買ったら?」と言います。そして、嫌味たっぷりに、「ほかにも私のジョブ・ディスクリプションに入っていないご用命があるんですか?」と問いただすのです。
ジョブ型雇用の下では、どんなに偉い人でも、どんなに重責にある人でも、うかつに部下や従業員に用事を頼むことが出来ません。女性従業員に「ちょっとお茶入れて」などと頼んでしまうことは、もってのほかです。さすがに、こういうことは日本でもなくなりつつあると思います。あるいは思いたいところです。いずれにせよ、ジョブ型雇用に働く人々の専門性を尊重し、こき使い型の働かされ方から彼らを守る効果があることは間違いないでしょう。その一方で、労働市場や労働制度の専門家からは実際の運用上の様々な問題点が指摘されています。
それはそれとして、筆者がこのジョブ型雇用について気になるのが、働く人々の視野狭窄をもたらさないか、という点です。このテーマについて考えている中で、最近、すっかり使われなくなった(あるいは使ってはいけなくなった?)ある言葉が頭に浮かびました。それは「専門バカ」という言葉です。自分の専門分野については超博識で巧みだが、他のことは何も知らない。他のことは何も出来ない。それが専門バカです。ジョブ・ディスクリプションにあまりにもこだわり、あまりにも忠実であり過ぎることが、自分を専門バカ状態に追い込んでいく。それが気掛かりです。一つのことしかしなくていいということは、見方を変えれば、他のことは何も出来なくなって行くということです。
こうなってしまうと、結局は、連綿と同じことをやり続ける形でこき使われることになっていきます。創意工夫を凝らす余地もありませんから、創造性は低下するでしょう。ジョブ型雇用で専門性を高めるつもりが、結局はマルチ・タスクに対応出来ないシングル・タスクの人間歯車状態に陥ることが懸念されます。
専門バカの反対が器用貧乏です。手当たり次第にマルチ・タスクをこなしているばかりで、専門性が形成されない。この場合には、便利使い的にこき使われまくる。結局のところ、専門バカ人も器用貧乏人も、こき使い圧力にさらされる恐れがあります。今後、日本の雇用慣行が何型になるにせよ、我々は専門バカ化も器用貧乏化も回避出来る知的な底力と拡がりを身に着けておくことが必要なのだと思います。