ヨブの「なぜ?」の叫びに、友人たちはいろいろな角度から答えました。彼らなりにヨブを「なぐさめ」ようとしたのですね。でもヨブは「なぐさめ」られませんでした。自分の不幸の理由を説明されても、心に響かなかったのです。前回話したとおり、わたしもそんなふうに「なぜ?」と問うたことがありました。母の病気についての医学的な説明を受けて、ストレスの多い社会も病気の原因の一つなんだよと教えられても、全然「なぐさめ」られませんでした。わたしはただ、この出来事全体に意味や目的があるのかどうかを、知りたかったのです。この世界に無意味な不幸なんてないんだと、信じたかったのかもしれません。
友人たちは、集団や社会の中の出来事の一つとしてヨブの不幸を理解します。でも、それでは〈個〉としての自分が大事にされていないと、ヨブは感じたでしょう。ヨブには、自分の〝絶望〟を他人事のようにながめて落ち着くことが、どうしてもできなかったのです。「我執」を捨てられなかったのですね。友人たちはヨブを見て、自分にこだわっているから「なぐさめ」が得られないんだと思ったでしょう。内村さんはこう考えます。ヨブは友人たちの「なぐさめ」を拒否して、自分の〝絶望〟にこだわった。だからこそ神を恨んでしまう。でも、冷静に、広い視野で考えることができる友人たちよりも、ヨブはよっぽど神の近くにいたんじゃないか、って。
「人もし死なばまた生きんや」(「ヨブ記」14章14節)
人は死んでも、生きるのだろうか……。ヨブはこの究極の〝絶望〟の先に、希望があるのだろうか、と悩んでいるのです。そして、「ヨブ記」の結末にはたしかに希望があります。内村さんはそれを、「まことに文学として絶妙である」と言います。いかがでしょうか。わたしはこの内村さんの言い方には、〝物語〟としては素晴らしいけれど、現実がいつもそのとおりだとはかぎらないという含みがある気がします。
内村さんが「ヨブ記」という〝物語〟を大事に思ったのは、ヨブの〝絶望〟に人間の生き方の真実を見たからです。
「暗黒中に一閃の狼煙ひらめき、またたちまちもとの暗黒となる。これ人の魂の真の実験である」※7 〝絶望〟しながら「なぜ?」と問い続けるヨブには、「凪」の心の状態はやってきません。希望の光はすぐ雲に隠れてしまうのです。
若い頃から「なぐさめ」の〝物語〟を語ってきた自分だって、そうだったんだよ。それだから人生は面白いんだよ。年をとった内村さんがそんなふうに言っているようです。そう思えばあなたも、自分が力と共にあると、ほんの少し感じませんか?
※1
『ヨブ記講演』岩波文庫 118頁
※2
正宗白鳥『内村鑑三・我が生涯と文学』講談社文芸文庫 13頁(一部表記をあらためた)
※3
現代の言葉づかいであらためて訳された読みやすい文庫本(『ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか』河野純治訳、光文社古典新訳文庫)も出ていますので、手に取ってみてください。
※4
『余は如何にして基督信徒となりし乎』鈴木俊郎訳、岩波文庫 93-94頁
※5
ここからは、内村さんの『ヨブ記講演』という本を参考にしています。「ヨブ記」は、『旧約聖書』のなかに含まれています。つまり、この世界にキリストがあらわれる以前に語られた〝物語〟なのです。キリスト教を信じるひとが、キリストがいなかった時代の書物を大事にするのは少し不思議ですが、その理由の説明は省略します。とりあえず、「ヨブ記」が、キリスト教徒かどうかにかかわりなく、たくさんの人々に深い影響を与えてきた普遍的な〝物語〟だということを、知っておいてください。
内村さんは「不敬事件」の後、「ヨブ記」を読もうとしたのですが、途中で辛くなり、読むのを諦めてしまったそうです。それくらい衝撃的な〝物語〟なのです。ちなみに『ヨブ記講演』は、「不敬事件」のおよそ30年後におこなった講義を本にしたものです。
※6
『旧約聖書 ヨブ記』関根正雄訳、岩波文庫 37頁
※7
『ヨブ記講演』130頁(一部表記をあらためた)