日本についてたくさん考えた内村さん
みなさんこんにちは。今回も一緒に、〝これから〟を生きるためのヒントを、内村鑑三のことばから探ってみましょう。
内村さんはキリスト教の信徒でしたね。でも、不思議なことがあります。それは、「日本」というタイトルの文章が多いことです。岩波書店という出版社から、内村さんの全集が刊行されています。漁業を研究していた若い頃の論文から、亡くなる直前に書かれた文章まで、内村さんが執筆した膨大な作品や新聞記事が、ほとんどすべてそこに網羅されています。その最終巻(第40巻)に「索引」があります。それを見れば、『内村鑑三全集』のどの巻の何ページに、どんなタイトルの文章が収められているかが、一目でわかります。
さて、索引の「に」の項に差しかかると、〈日本〉という文字が目に飛び込んできます。たとえば、「日本国と基督」、「日本国の祈求」、「日本人の研究」、「日本の天職」……。もっともっと、数え挙げればキリがないくらいあります。内村さんが日本や日本人について、長い間考え続けていたことが、文章のタイトルからもわかります。「き」の項に〈キリスト(基督)〉ではじまるタイトルが多く、また「せ」の項に〈聖書〉ではじまるタイトルが多いのは、当然ですよね。でもなぜ、キリスト教という外国に由来する宗教を生きる糧にした内村さんが、日本のことをこんなにもたくさん書いたのでしょうか。
理由の一つは、日本が開国したばかりの新しい〝国〟だったことにかかわっています。この先、日本はどうなっていくのだろう、自分たちはこの国をどうしていけばいいのだろう……。これが世の中の話題や興味の中心だったので、内村さんも主張する機会が自然と多くなっていったのでしょう。でも、そこには他にも、内村さんらしい日本への思いがあったはずです。言いかえると、内村さん独特の愛国心やナショナリズムが関係していたにちがいありません。
とはいえ、いきなり愛国心やナショナリズムと言われても、わかりづらいですよね。いつもどおり身近なところから近づきましょう。少し恥ずかしい、わたしの過去の経験を聞いてください。
第2回でお伝えした、高校生の頃の話です。わたしの家は〝家庭〟ということばから想像される安心感からかけ離れた状態で、わたしの心はすさみきっていました。高校生なのに、お酒を飲んで人の家に泊めてもらうことも多かったのですが、学校に行くと、明るく振舞い、教室を盛り上げていました。友だちの記憶には、すごく面白いけどなんかアブナイ奴、として残っているのではないでしょうか。
わたしは自分が所属するクラスを良いクラスにするために一生懸命すぎるくらい頑張っていました。具体的には、イジメがなく、居心地の良いクラスを目指していたんです。大阪の学校だったこともあり、いわゆる〝いじる〟タイプの笑いも起こるのですが、いじりが特定の人に集中しないように気を遣い、みんなに光が当たり、活躍できるように配慮していました。これだけなら、素晴らしい取り組みですよね。
自分には、自分自身の環境を変えられる力があるから、まだ大丈夫なんだ。親の病気のことで困っていたその時のわたしは、居心地の良いクラスを作ることによって、そう信じたかったのだと思います。でも、それが異常だったと感じるのが、他のクラスでイジメがあるという噂を耳にした時に、心の中で興奮し、強い満足感を覚えたことです。いじめている人を責める気持でもなく、いじめられている人を心配する気持でもなく、〝ほら、あいつらにはできないだろ〟という優越感でいっぱいになったのです。
つまり、わたしが目指していた〝良い〟は、他の集団と比較することでしか満たされない、不安定なものだったのですね。自分の〝良い〟状態に心から満足している人は、他の人の〝良い〟状態をも望むはずですが、そうではなかったのです。いったい、わたしはなにを求めていたのでしょうか。
じつは、わたしが求めていたのは、安全なこちら側(内部)と、危険なあちら側(外部)というイメージ、はっきりした内と外の線引きだったのかもしれません。そんなことのために頑張るのは、的外れで、偽善的ですよね。でも、歪んだかたちで表現するしかなかったとしても、その頃のわたしが必死に〝良い〟なにかを探していたことはたしかですから、ちょっとかわいそうだとも思います。
ナショナリズムってなんだろう
英和辞書で、「ナショナル(national)」という単語を調べてみますね。〈国の〉というのが基本の意味です。ナショナル・パークは国立公園。ナショナル・アンセムは国歌。その下に「ナショナリズム(nationalism)」という単語も載っていましたので、意味を書き写してみます。
①民族主義、国家主義。→民族または国家の自主的独立を主張する政治的主義。②国粋主義。→自国の文化・伝統を他国のものよりすぐれたものとし、排他的にそれを保持拡大しようとする主義 ※1
※1
『新クラウン英和辞典 第5版』三省堂
※2
『新明解国語辞典 第六版(小型版)』三省堂
※3
たとえば、日本という国家の中にはアイヌという先住民族がいますが、漁業にかかわる自分たちの自由を法律で保障するように、国に訴えています。また、沖縄の人々は、沖縄にたくさんあるアメリカ軍基地からの解放を求めて闘っています。日本が独立した国家だと言う場合には、こうしたことを思い出すことが大切です。
※4
小熊英二・上野陽子『〈癒し〉のナショナリズム――草の根保守運動の実証研究』慶應義塾大学出版会、24頁
「総じて彼らは、自分にあらかじめ内在していた「健全な常識」に従ってナショナリズム運動を開始したのではなく、その逆に、現代社会において規範となるべき「健全な常識」が見いだせないがゆえの不安からナショナリズムを求めたのであろうと思われる。原理的に考えれば、こうしたナショナリズムへの期待は、価値観の揺らぎが激しくなればなるほど、家族や友人といった現実の人間関係が崩壊すればするほど進行する」
※5
桜とナショナリズムの関係については、有岡利幸さんが書いた『桜Ⅱ ものと人間の文化史』(法政大学出版局)という本にくわしい説明があります。ソメイヨシノという桜の品種が〝クローン〟だったからこそ日本中にお花見が広がったことや、なぜ日本の人々はこんなにお花見が好きなのか、どうして日本全国の学校に桜の木が植えられているのか、桜が戦争にどのように利用されたかなど、興味深い事柄がたくさん紹介されています。
※6
『余は如何にして基督信徒となりし乎』鈴木俊郎訳、岩波文庫、106頁
「余を生んだ国土はその青年のすべてから何か国土の名誉と栄光に対する惜しみない寄与を要求する、そして余は余の国土の忠実な子となるため、我が国の境界のかなたに拡がる経験と知識と観察とを必要とした。第一に人となること、次に愛国者となることが、余の外国行の目的であった」