一念発起
(いちねんほっき)
仏教の言葉で、今までの邪念を一掃して悟りを開こうと決心すること。転じて、なにごとであれ、それまでの怠惰な考えを改めて、熱心になり努力しようと心に誓うこと。「一念発起菩提心」を略したもの。
『歎異抄(たんにしょう)―十四』に、「弥陀の光明にてらされまゐらするゆへに、一念発起するとき」とある。
〔例〕朝礼などで、「前期の営業成績はかんばしいものとはいえませんでしたが、今期こそは部員一同、一念発起して、これまでにない好成績を上げるように努力してください」というように使う。あるいは、激励会のあいさつなどで、「全国大会初出場とはいえ、初戦で敗退したことの責任は、すべて監督である私にあります。その点は、率直に選手諸君に謝りたいと思います。しかし、来年の大会への戦いはすでに始まっています。今日ただいまから、一念発起して、来年の栄光をわれわれのものにするために、練習にはげもうではありませんか」と使ったりする。
〔類〕一念発心(いちねんほっしん)/一心発起(いっしんほっき)
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百里を行く者は九十を半ばとす
(ひゃくりをゆくものはきゅうじゅうをなかばとす)
100里の距離を歩き通そうと思ったら、90里まで来たところで、やっと半分だと考える習慣が必要であることをいう。何事も終始を全うすることは、困難であることにたとえる。
〔類〕百里の道は九十里が半ば
〔出〕戦国策(せんごくさく)
〔会〕「もしもし、原稿の進みぐあいはいかがですか」「9割ぐらいかな」「じゃ、明日にでもいただきに上がります」「百里を行く者は九十を半ばとす。最後の締めくくりがたいへんなんだ。あさってにしてくれないか」
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掉尾を飾る
(ちょうびをかざる)
物事の最後になって、勢いを盛んにする。「両雄の決戦は大会の掉尾を飾るにふさわしい力の入ったものとなった」
〔語源〕「掉尾」は、物事の最後の意。捕まえられた魚が死ぬ直前に尾を振るところからという。「掉尾」を「とうび」というのは慣用読み。
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