東海道に伝馬(てんま)制が敷かれたのは1601年。東海道五十三次の起こりである。時間に追われる現代人、しばし空想の中だけでものんびり弥次・喜多道中を楽しみたい。(「イミダス2002年版」掲載)
保土ヶ谷
JR保土ヶ谷駅を出て商店街には問屋場跡、踏切を渡って本陣跡がある。留め女が宿泊客に群がり、弥次・喜多も「おとまりはよい程谷ととめ女、戸塚前(とっ捕まえ)てははなさざりけり」と詠んだ。旅人泣かせで行き倒れも多かった権太坂は、現在は新道が正月の箱根駅伝の難所である。旅籠の数67。日本橋から32.2km。
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戸塚
日本橋を旅立って多くの旅人が最初に泊まる宿場で、現在は首都圏のベッドタウンでもある。JR戸塚駅周辺に江戸方見附跡、一里塚跡、本陣跡、上方見附跡などが続く。坂を上ると『仮名手本忠臣蔵』にちなんだ「お軽勘平戸塚山中道行きの場」碑があり、さらに進むとようやく松並木が現れる。旅籠の数75。日本橋から41.0km。
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藤沢
時宗総本山清浄光寺(遊行寺)の門前町として栄え、江の島・鎌倉への参詣や観光の人々でにぎわったところである。現在も鎌倉への江ノ電の始発駅で、休日には多くの人でにぎわう。茅ヶ崎近くになると松並木が残り、「南湖左富士の碑」を過ぎると源頼朝の死の原因となった旧相模川橋脚がある。旅籠の数45。日本橋から48.8km。
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平塚
富士、箱根、丹沢を遠望して馬入川(相模川)を渡ると、七夕祭りで知られる平塚に入る。JR平塚駅前繁華街を少し外れたところが平塚宿の中心で、昔の面影はないが見附跡、高札場跡、本陣跡などの碑が残る。さらに進むと広重の絵そのままの、こんもりとした独特の姿をした高麗山が目の前に迫る。旅籠の数54。日本橋から62.4km。
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