東海道に伝馬(てんま)制が敷かれたのは1601年。東海道五十三次の起こりである。時間に追われる現代人、しばし空想の中だけでものんびり弥次・喜多道中を楽しみたい。(「イミダス2002年版」掲載)
大磯
曾我十郎との悲恋で知られる虎御前の化粧井戸を過ぎ、ダイナミックに傾いた松並木を抜けると大磯である。本陣跡が残るのみだが、明治期に海水浴場と高級避暑地として知られるようになる。宿外れに西行の「鴫立沢の秋の夕暮れ」にちなんだ鴫立庵があり、その向こうに波打つ相模湾が広がる。旅籠の数66。日本橋から65.4km。
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小田原
江戸を旅立った人の多くが2泊目の宿としたのが、北条氏の城下町として栄えた小田原。酒匂川を渡ると小田原の町はすぐそこで、江戸口見付跡を過ぎると宿の中に入り、箱根越えを控えて多くの宿泊客でにぎわった。かまぼこは江戸時代に小田原で考案され、現在も街中には老舗(しにせ)が並ぶ。旅籠の数95。日本橋から81.0km。
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箱根
東海道一の難所である箱根路は、現在はロマンスカーの観光客でにぎわう湯本から始まる。寄木細工で知られる畑宿を過ぎると石畳道があり道も険しくなり、甘酒茶屋を過ぎると芦ノ湖が見える。湖畔の杉並木を抜けると「入り鉄砲に出女」を取り締まった箱根関所があり、箱根宿の中心に入る。旅籠の数36。日本橋から97.4km。
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三島
富士を見ながら箱根を下り初音ケ原の松並木を過ぎると、やがて三島宿の入り口にあたる三島大社の大鳥居が見える。三島宿は伊豆国一の宮である三島大社の門前町として栄えたところで、現在はにぎやかな商店街が続き、樋口本陣跡や世古本陣跡、さらに問屋場跡の碑が建っている。旅籠の数74。日本橋から112.2km。
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