東海道に伝馬(てんま)制が敷かれたのは1601年。東海道五十三次の起こりである。時間に追われる現代人、しばし空想の中だけでものんびり弥次・喜多道中を楽しみたい。(「イミダス2002年版」掲載)
沼津
宿手前の長沢八幡神社に、源頼朝と義経が黄瀬川で対面したときに座ったという対面石がある。かつての城下町・宿場も、戦火や区画整理などのため当時の面影はほとんど失われ、史跡の表示も整備されていない。古来風光明美な千本松原には若山牧水の「幾山河越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ」の碑がある。旅籠の数55。日本橋から118.0km。
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原
原宿は沼津宿からまっすぐ西に伸びる一本道にある宿場であった。富士山と愛鷹山を望みながらの道は、広重の絵に描かれた当時と同じである。「駿河に過ぎたるもの二つあり、富士のお山と原の白隠」といわれたように、原出身の名僧白隠が再興した松蔭寺は宿の入り口にある。旅籠の数25。日本橋から123.8km。
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吉原
「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」と歌われた田子の浦からの富士は絶景。現在はその面影はなく、国際港として多くの外国船が出入りしている。広重の「吉原左富士」でも知られるように、途中に富士が左手に見える場所があり左富士の碑がある。旅籠の数60。日本橋から135.6km。
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蒲原
蒲原宿は山と駿河湾にはさまれた細長いところに開けた宿場で、現在も脇本陣跡、本陣跡などが残り、旧街道の町並みも当時の面影を色濃く残している。広重の描いた蒲原は「夜の雪」として『東海道五十三次』の中でも特に傑作といわれ、その写生地とされる場所には「夜の雪」の記念碑が建つ。旅籠の数42。日本橋から146.7km。
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