東海道に伝馬(てんま)制が敷かれたのは1601年。東海道五十三次の起こりである。時間に追われる現代人、しばし空想の中だけでものんびり弥次・喜多道中を楽しみたい。(「イミダス2002年版」掲載)
由比
由比は海と山にはさまれた狭い場所にあり、五十三次の中でも規模の小さい宿場の一つ。それだけに当時の面影を残している。本陣跡を公園として整備、園内に「東海道広重美術館」があり、その向かいに由比正雪の生家と伝えられる「正雪紺屋」がある。難所の薩た峠からは駿河湾と富士が美しい。旅籠の数32。日本橋から150.6km。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
興津
かつては清見潟とよばれた景勝地も、現在は巨大クレーンなど近代的な港湾施設が並ぶ海岸である。昔の面影はなく、東本陣跡・西本陣跡の碑が残るのみである。宿を出て西に向かうと、最後の元老西園寺公望の別荘坐漁荘がある。「興津詣で」なる言葉も生まれた坐漁荘は現在公園となっている。旅籠の数34。日本橋から159.7km。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
江尻
江尻は清水湊で栄えた港町で合併前の清水市(現静岡市)。宿は清水銀座に変わり当時の面影もなく、江尻の名も住所表示として残るのみ。清水といえば何といっても清水次郎長で、街道から外れた梅蔭寺には次郎長一家の墓が並んでいる。西には、森の石松を殺した「都鳥」と呼ばれた都田吉兵衛の供養塔がある。旅籠の数50。日本橋から163.8km。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
府中
徳川家康の城下町であり、駿遠地方最大の城下町の静岡市は現在も東海地方有数の都市である。宿場の面影は伝馬町・札の辻などの地名に残るのみ。幕末に、江戸攻撃を阻止するために山岡鉄舟が西郷隆盛と会見した地には碑が建つ。駿府城跡を通り過ぎれば、安倍川餅(あべかわもち)で知られる安倍川に出る。旅籠の数43。日本橋から174.3km。
◆その他のミニ知識はこちら!【東海道五十三次】