東海道に伝馬(てんま)制が敷かれたのは1601年。東海道五十三次の起こりである。時間に追われる現代人、しばし空想の中だけでものんびり弥次・喜多道中を楽しみたい。(「イミダス2002年版」掲載)
鳴海
織田信長が今川義元を破った桶狭間古戦場と伝えられる跡を過ぎると、有松絞りで名高い町並み保存地区にもなっている有松を通る。鳴海は現在も静かなたたずまいを残すところで、誓願寺には最古といわれる芭蕉供養塔があり、隣の芭蕉堂には芭蕉像が安置されている。旅籠の数68。日本橋から340.5km。
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宮
熱田神宮の門前町で熱田宿ともいい、尾張の玄関口、美濃路の分岐点、そして桑名への海路の要衝として、旅籠の数からわかるように東海道最大の宿場であった。桑名まで海路7里、その出発点「七里の渡し」跡は、現在宮の渡し公園として整備され、常夜灯などが復元されている。旅籠の数248。日本橋から347.0km。
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桑名
宮から7里の海路を経て着いたのが「焼きはまぐり」で知られる桑名である。渡し場跡には、伊勢神宮の一の鳥居と常夜灯があり、西にある脇本陣跡・本陣跡は高級料理旅館となっている。船会所跡などの表示を見て桑名城跡につくと、東海道五十三次をイメージした歴史を語る公園がある。旅籠の数120。日本橋から374.3km。
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四日市
伊勢参宮道の分岐点として多くの旅人でにぎわった四日市も、現在はコンビナートが立ち並ぶ工業都市へ変貌している。創業天文19年(1550)の老舗、名物のなが餅を売る笹井屋を過ぎると宿の中心となり、片面に「すぐ江戸道」、片面に「すぐ京いせ道」と刻まれた道標がある。旅籠の数98。日本橋から386.9km。
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