世界一危険な町と呼ばれる中米ホンジュラスのサン・ペドロ・スーラ。そこでは凶悪犯罪に手を染める若者ギャング団「マラス」が、スラム暮らしの少年たちの生活を支配している。そんな町から、ひとりメキシコへ来た少年、アンドレス(18歳)は、母国を出る前、地元のギャング団「バトス・ロコス(V.L.)」の下っ端だった。
現在18歳のアンドレスは、15歳の頃、V.Lのギャングとばかりつるんでいたために、祖父母の家を追い出された。それからはV.L.のメンバー15人と共に生活した。そしてV.L.の縄張りにある食堂や商店相手にみかじめ料を取り立てる仕事を続けるうちに、「マラス」の真の恐ろしさに気づき始める。
「メキシコやコロンビアの麻薬カルテルと取引をしているだけでなく、自分たちの邪魔になる相手を、暗殺してまわるんだ。典型的なパターンは、男女2人乗りのバイクで敵に近づき、すれ違いざまに後ろに乗っている女性が敵を撃ち殺す。そんな事件が頻発したから、警察はバイクの2人乗り自体を禁止したくらいさ」
私の顔を見て、「信じられる?」と言いたげな表情を見せる。自身はまだ武器を手にする立場にまで上り詰めていなかったアンドレスだが、彼の周囲の人間たちはすでに殺人に手を染めており、同じ所に住んでいると、凄惨(せいさん)な場面にも立ち会うことになった。
「ある時、仲間がアジトで敵の男性3人と女性1人を殺した。そして遺体の腕や足を切り落としていったんだ……」
想像するだけでぞっとする光景。だが少年は、ただ黙って見ていた。
「マラスでは、それが当たり前のことだった。警察だって、止められない。それどころか、警察にもマラスのメンバーが潜入しているくらいさ」
アンドレスによると、マラスでは大抵18歳になったメンバーの中から、警察もしくは軍に入る人材を募るらしい。つまり彼らの暴力と犯罪を取り締まる側の警察や軍の内部にも、マラスメンバーがいるということだ。
「スラムのサッカー場で一度、“ディエシオチョ”(スペイン語で18の意味。通常、略して“18”と表記される)のメンバーが20人ほど殺される事件が起きたんだけど、犯人は警官のかっこうをしていたそうだよ。その警官はきっと敵のマラスメンバーだったんだ」
その殺人は、18の敵である「マラ・サルバトゥルーチャ(MS)」の仕業というわけだ。
見張り役やみかじめ料の取り立て役をやっているだけならいいが、このままギャング団に居続ければ、近々、自分も人を殺さなければならなくなる。自分は本当にそこまでやる気があるのか? アンドレスの脳裏には、しだいに大きな疑問が浮かぶようになる。そして16歳のある日、その疑問に自ら答えを出さざるを得ない状況が、訪れた。
「兄貴分に“おまえも今週1人殺して来い”と言われ、銃を渡されたんだ」
少年の顔が一瞬、それまでの明るさを失った。それは来るべくして来た瞬間だった。
V.L.では、見習いの下っ端から正式なメンバーに昇格するための儀式として、敵もしくは自分の家族や知人の誰かを1人殺さなければならないのだ。以前は、仲間に十数秒間の暴行を加えられ、それを耐え抜いた者が正式メンバーと認められる、というのがマラスの一般的なしきたりだった。ところが今は、自分が殴る蹴るに耐えるのではなく、誰かを殺して「勇敢さを示す」ことでしか、受け入れられないという。それだけギャング世界の状況はタフになってきている。
もう半年ほどすれば17歳になるアンドレスにとって、まさに決断の時だった。幼さゆえに敵のギャングに殺された父親の仇を取ると意気込み、強いギャンクに憧れた時期もあったが、内側からその本当の恐ろしさを知った今は、そんなたわごとは言っていられない。
「人なんか殺せない。ギャングの中にいるのはもう嫌だ。そう思った」
と、アンドレス。しかし、その言葉を仲間にそのまま告げれば、自分が殺されることになる。一度マラスに関わった者は、マラスも救いを求める「神」に奉仕する仕事に就くなど、特別な理由がない限り、組織を離れることは許されない。もし抜けたら、「秘密を知る裏切り者」として仲間に殺されるか、「もう守ってくれる仲間のいない元敵のギャング」として、ほかのマラスに殺されるかの、どちらかだ。
追い込まれた少年は、途方に暮れながら、仲間の元を離れて祖母に会いに行った。幼い頃かわいがってくれた祖母なら何とかしてくれるかもしれない。そう思いたかった。ほかに頼る相手のいない少年にとって祖父母の家だけが、唯一残された居場所だった。
祖父母の家にたどり着いたアンドレスは、何とか殺されずにV.L.を抜ける方法を考えようとする。と、その時、文字通り「奇跡」のような出来事が起きる。
「ふだんから僕と瓜二つだと言われていた少年が、僕の家の前で撃たれて死んだんだ」
その少年は別のマラスのメンバーで、V.L.の縄張りに入ったために撃ち殺された。ところが事件は意外な展開を見せる。
「祖父母は銃声を聞いてすぐに、家の奥に隠れていた。僕は窓から外の様子をうかがっていて、殺された少年の姿を見た。と、近所の人たちが突然、“あれはチェレだ”と叫び始めたんだ」
“チェレ”は、アンドレスのニックネームだった。
「その声に、なぜだか涙が溢れ出た。自分が死んだような気持ちになったんだ。でも次の瞬間、もしかしたらこれが、降って湧いたチャンスかもしれないと思った。もしみんなが僕が死んだんだと思っているのなら、今ここから姿を消せば、仲間に見つからずに国を脱出して、V.L.から抜け出せるかもしれない」
信じられないほどのスピートで、彼は国外脱出を決断する、そして実行に踏み切った。
まず、事件現場に駆けつけた警察と人だかりで騒然としている表通りを避け、家の裏から親しい隣人の家へ行き、仲間に与えられた銃を買い取って欲しいと頼んだ。すると隣人は、その申し出を快く受け入れ、銃と引き換えに2500レンピラ(約1万3000円)手渡してくれた。そのあと家に戻った少年は、あり金をかき集めて、合計7000レンピラ(約3万5000円)を手に、家を飛び出す。むろん、家族には何も告げずに。
「夜中の3時過ぎだった。静まり返った通りを市場へと向かった。そこには父さんの友人で、早朝からトラックで市場へ食料品を運ぶ仕事をしている人がいたからだ。彼を探して、助けてくれるよう頼んだ」
トラック運転手は、アンドレスの必死な様子を見て状況を察したらしく、黙って「車に乗れ」と言った。そして少年に、「警察に止められて何か尋ねられても、何も言うな」と告げ、マンゴーを一つ手渡した。それからバスターミナルまで連れて行って、降ろした。そこからは、隣国グアテマラとの国境へ行くバスが出ている。
「僕はとにかく国境を越えるため、バスに乗り込んだ」
早朝5時。つい先ほどまで死の恐怖に怯えていた少年はもう、冒険の旅人となっていた。
サン・ペドロ・スーラから国境までは、山岳地帯を大きく迂回し、東からカリブ海の海岸線へと出て、海沿いの道を国境の町、コリントへと走る。およそ1時間半ほどの道のりだ。コリントには出入国管理局があるが、のどかな所で、ちょっと脇道へずれて歩くだけで、パスポートも何も持たなくても簡単に国境を越えられる。
「全然問題なかったよ」
楽々グアテマラ入りを果したアンドレスは、国境近くにある両替商で持っていたお金をレンピラから地元の通貨ケツァルへ両替し、マイクロバスに乗り込んで、40分ほど先にある町、プエルト・バリオスへ向かった。そこで首都グアテマラ市行きのバスに乗るためだ。
「プエルト・バリオスのバスターミナルへ行く途中で警察に止められて、送還されそうになった。でも、200ケツァル(約2600円)あげるから見逃して、と言ったら、あっさりOKが出たんだ。あれなら50ケツァルでも良かったかもしれないなぁ」
冗談半分にそう言うと、話を続ける。どうやらこの少年、意外と冒険心が強いようだ。
無事にバスターミナルに着くと、さっそくグアテマラ市行きの長距離バスに乗り込んだ。西南西へ約5時間。ほぼ真っ直ぐな道をひた走る。
「ラテンギャング・ストーリー」8 決死の逃避行
(ジャーナリスト)
2015/11/30