日本の高速バスなら5時間の旅はさほどキツくないが、中米で運賃の安い長距離バスに乗ると、日本人ならヘトヘトになるくらい乗り心地が悪い。ときには町まで売りに行くニワトリを抱えて乗ってくる客までおり、バスの中は人間と荷物と動物のごちゃ混ぜ詰め込み状態になる。が、ふだんから厳しい生活環境に育っている人たちにとっては、大した問題ではないようだ。
午後、ようやくグアテマラ市のバスターミナルに降り立ったアンドレスは、国外脱出を決意し家を飛び出してから続いた緊張感が少し和らいだのか、とにかくいったん休もうと、すぐに宿を探すことにした。初めて来た町で、ターミナルにいた男に「安いホテルを知りませんか?」と尋ねると、「連れて行ってやるよ」という快い返事。そこで男に付いて行くと、人影の少ない通りに来た途端、銃を突きつけられた。
「強盗だったんだよ!」
と、肩をすくめる少年。結局その男に、600ケツァル(約8000円)奪われてしまった。
「だから、今度は自分で安く寝られる場所を探したよ」
それにしても、4万円近い現金を持って家を出た彼の懐には、これまでに使った分を差し引いても、まだ3万円以上の現金が残っていたはずだ。なぜ8000円程度しかとられなかったのだろう。私が不思議がると、彼は少し自慢げに、こう説明した。
「お金は少しずつ分けて、靴の中とかジーンズのウエスト部分を折り返した隙間とか、いろいろな場所に隠して持ち歩いていたから、全部とられることはなかったんだ」
いつ何が起こるかわからない危険な環境で生まれ育った人間の知恵なのだろう。危機管理はお手のものといったところだ。
とはいえ、さすがに息抜きを必要としていた少年は、グアテマラ市の安宿に2泊してから、再び長距離バスに乗り込み、メキシコ国境を目指した。国境の町、テクン・ウマンまでは、バスで西へ5時間弱。そこには「カサ・デ・ミグランテス(移民の家)」という施設があり、中米の国々からアメリカを目指して旅する人々の多くが、数日間滞在している。アンドレスもメキシコ国境を越える前に、そこに3日間世話になることにした。
テクン・ウマンにある「移民の家」は、カトリックの修道会がグアテマラとメキシコで運営している移民支援施設の一つで、食事や宿泊場所、簡単な医療や法的アドバイスなどを提供している。過酷な旅に挑む人々を精神的に支え、旅先で出くわすであろう問題への対処方法を教える。この施設についてはインターネットに情報が出ているので、移民たちは皆、事前にそれをチェックし、旅の途中で利用する。
移民のためのこうした施設は、運営者の異なる大小様々なものが、各地に存在する。その大半は、アメリカを目指してメキシコ国内を移動する中米からの移民とメキシコ人移民のためにつくられたもので、人道的配慮の意味合いが強い。移民たちはアンドレスのように、そこで疲れを癒やし、旅を続ける英気を養う。また、メキシコ国内のどこにどんな支援施設があるか、どこで移民局の検問があるかといった情報も得る。それらを念頭に、メキシコ縦断4000キロ以上の道のりを進むのだ。
「テクン・ウマンで休んだ後、いよいよ国境の川を渡ったんだ」
グアテマラとメキシコの国境南部には、スチアテ川が流れている。不法移民は、出入国管理局がある道を避け、この川を渡る。川には大型車両のタイヤチューブと板でつくられたいかだのような渡しがある。多少お金がかかるが、歩いて渡るよりも安全だ。だからアンドレスも、この渡しを利用して、メキシコ側へたどり着いた。
「メキシコに入ったら、両替をして、とにかく目の前の道を歩き始めた。国境の町シウダ・イダルゴでは突然、警官が現れ、“移民野郎!”と怒鳴られ殴られた。そのうえ、持っていたお金までとられてしまった。幸い、ウエストの折り返しに隠していたお札には気づかれなかったけどね」
そう言いながら、ニヤリとするアンドレス。そして、
「とにかくメキシコに入ってからが、タフだった」
と、付け加える。
それにしても、警官が子どもに暴力を振るった揚げ句に所持金を巻き上げるとは! メキシコでは地元警官の下っ端が、上司の機嫌をとるためにストリートチルドレンやホームレスから金を奪って貢ぐのは、日常茶飯事のことだが、そもそも不法移民を取り調べるのが仕事のはずの彼らが、移民からお金を盗んでさようなら、とはいかがなものか。
「でも僕は運が良かった。警官が行ってしまった後、その出来事を見ていたおばさんが自分の家に連れて行ってくれて、食事を出してくれたんだ。そこで僕は思い切っておばさんに、家に泊めてもらえないかと頼んでみた。すると彼女は承知してくれて、お世話になることになった」
女性は食べ物を売る屋台を出しており、アンドレスはそこで皿洗いを手伝ったりして、1日を過ごした。彼女には息子が2人おり、夜はその少年たちとサッカーをして楽しんだ。親切な母子に救われ、移民少年はすっかり安心していたが、ずっと世話になることはできないということも、わかっていた。
数日後、女性はアンドレスにこう切り出した。
あなたをずっと助けてあげられるといいのだが、それは難しい。それにここは国境の町だから、このまま居続ければ移民局に見つかり、強制送還されるのも時間の問題だ。だから、なるべく早く国境から離れたほうがいい。
「そうして彼女は、僕に300ペソ(約2300円)くれたんだ」
サン・ペドロ・スーラを出て約1週間、ギャング少年はもう仲間と麻薬をやって浮かれることもなく、ひたすら遠くへ、ギャング仲間から離れることだけを考え、旅してきた。途中、不運もあったが、他人の親切にも救われた。そして彼は、更なる冒険へと突き進んで行く。
「ラテンギャング・ストーリー」8 決死の逃避行
(ジャーナリスト)
2015/11/30